2006年 01月 29日
【6030】 春節に想う |
★ 29日は、旧暦のお正月でした。今でも旧暦で節句を祝う中国・韓国では、この日を「春節」として盛大に祝います。神戸・元町の中華街「神戸南京町」では、毎年、この日に「春節祭」が行われてエキゾチックな雰囲気で町を盛り上げていました。阪神・淡路大震災後、どうなったのか? もうすっかり忘れていたのですが、地元の「サン・テレビ」のニュースで中国舞踊や獅子舞、中国武術と賑やかな祭り風景を流していました。解説によると、3年前、8年ぶりに復活したそうです。
★ 今から向かうマレーシアのマラッカも、春節の最中。こちらは「Chinese New Year」と英語名で呼ばれていますが、総人口の30パーセントが中国系マレーシア人。多民族国家、しかも現在では中国語を理解しない中国系マレーシア人も増えてきているのですから「春節」よりこの英語名の方が”正式”として通用しつつあります。おもしろいですね。
★ 今、日本に居て”春節”、あるいは”旧正月”と聞いた時の実感・・・・いいものですね。また、”昭和ヒトケタ”の懐旧談を申し上げて恐縮ですが、新暦の新年より、今日の”春節” ”旧正月”の方が「年、新たに」の実感を覚えます。この空気、冷たいですが春を運んでいます。太陽の日差しも輝きが違います。木々の枯れ葉はすっかり抜け落ち、そこに新芽の膨らみが顔をのぞかせて春の訪れ間近か、を告げて、”新年”を実感させる迫力があります。
★ 戦後民主化教育は、旧来の伝統をすべて放擲(ほうてき)して、欧米基準に合わせました。学校のカリキュラムから「修身」科目を全廃しただけにとどまらず、教授の禁止と言う徹底ぶりでした。さらに国民生活の隅々まで行き渡っていた度量衡も使用禁止、メートル法採用を強制しました。”昭和ヒトケタ”世代、現在、70歳以上の高齢者は、その損失がいかに大きかったか、を想い起こすこと屡々です。
★ 例えば・・・加賀百万石。日本史ででて来るこの大名の実力。今の若い人に理解できるでしょうか? 私たち高齢者は、この5文字の意味がよく理解できます。「毎日、食べる1椀のメシ、これは稲一束8勺(しゃく)分だよ。昔の小作人の労賃は稲40~50束だった、つまり3升2合から4升、それが1日分の労賃・・・・」と言う具合に家庭で食事をしながら度量衡を習ったものです。
★ ものの量りは、「石斗升合勺」で表しました。1石(こく)は10斗(と)、1斗が10升(しょう) 1升は10合(ごう) 1合は10勺(しゃく)です。そして、「良田では1反(現在のアールに相当)の収穫は米2石」 昔から「2反百姓は食えぬ」という格言がありました。人が飢えないで生活できる最低限が1年間に米1石。当時の家族構成は4人一家族でした。だから田地が2反(アール)しかない貧農は飢えに苦しむ、というたとえです。
★ 加賀百万石とは、百万人の人間を1年間食わせるだけの生産力を持つ領主を意味します。侍(さむらい)の賃金はすべて米の量目「石」で言い表しました。「禄高500石」・・・そう聞くだけで、どれほどの待遇か、ほぼ想像できますね。聞いた瞬間にほぼ大意が掴める。現に自分が生きている生活の度量衡と、歴史が刻む記録の度量衡が同じだからできるのです。その貴重な文化継承を、国家権力でぶち切ってしまったのが戦後教育でした。
★ 本当に惜しいことをした。それを知ってもらうためにもう一つ、例を挙げます。今でもマンションは「3LDK」と表示した場合、「3室ダイニング・キッチン」と説明し、3室は、「6畳二間、4畳半」で、合計90平方㍍、などと説明します。これ・・・・私たち高齢者には、何の意味も伝えない、干からびた説明ですね。
★ ここで言われている「6畳」「四畳半」はメートル法で設計されたスペースの床を6つに分け、四つ半に分けてタタミを作っただけです。畳本来の意味は全くありません。そのちぐはぐさは、「団地サイズ」と、銘打っていることからもはっきりしています。「団地サイズ」とは、伝統文化を継承しておりません、との但し書き、と理解すればいいでしょう。
★ 私たちは、子供の頃から、「畳(たたみ)1畳(じょう)は大人が大の字になって横たわる大きさ」と習いました。「それが三つ組み合わせると、書生部屋、四つ半で夫婦の部屋、六つで居間を作る、そして八つ組み合わせて客間になる。それが日本家屋の基準」 そして「人間死ねば半畳の墓場」でした。つまり、死体は座した土葬が普通だったのです。
★ タタミ1枚(大人が大の字になって横たわる)は、次のように国土を計る基準になってもいます。つまり畳2枚で1坪、30坪で1畝、10畝で1反(たん) 10反で1町(ちょう)と土地の広さにも用いられました。現在の日本の土地管理の基礎をなした豊臣秀吉の太閤検地は、これによってできあがっているのです。そのような貴重な民族の文化遺産を惜しげもなく抹殺してしまったのです。
★ 「春節」への想い・・・・とんだところに飛び火しましたが、やはり「昭和ヒトケタ」は、嘆きます。米をキロで量り、表現して何がわかるでしょう。我が国土をヘクタールで表して、どれだけの文化内容を盛り込めるのでしょう。1年を365日に切り刻むだけで何を私たちは得るのでしょう。旧暦の節句、農業に携わる人々は、今も旧暦で生きています。そちらが生活に便利だし、文化継承の教訓が多く盛り込まれているからです。
★ でも・・・・国家と学校教育は、その使用を禁じます。西暦主導の太陽暦、それを国際標準とする文化統合、じっくり考えてみると、その本質は、英米重商主義国家連合の文化侵略の側面が濃厚、と感じます。急速に失われゆく弱小民族の文化、精神汚染と断固、国際標準なるものを拒否するイスラム世界、少し、冷静に、自らの足下を見つめ直すと、また、異なった見方もできるのではないか。そう思います。
★ 今から向かうマレーシアのマラッカも、春節の最中。こちらは「Chinese New Year」と英語名で呼ばれていますが、総人口の30パーセントが中国系マレーシア人。多民族国家、しかも現在では中国語を理解しない中国系マレーシア人も増えてきているのですから「春節」よりこの英語名の方が”正式”として通用しつつあります。おもしろいですね。
★ 今、日本に居て”春節”、あるいは”旧正月”と聞いた時の実感・・・・いいものですね。また、”昭和ヒトケタ”の懐旧談を申し上げて恐縮ですが、新暦の新年より、今日の”春節” ”旧正月”の方が「年、新たに」の実感を覚えます。この空気、冷たいですが春を運んでいます。太陽の日差しも輝きが違います。木々の枯れ葉はすっかり抜け落ち、そこに新芽の膨らみが顔をのぞかせて春の訪れ間近か、を告げて、”新年”を実感させる迫力があります。
★ 戦後民主化教育は、旧来の伝統をすべて放擲(ほうてき)して、欧米基準に合わせました。学校のカリキュラムから「修身」科目を全廃しただけにとどまらず、教授の禁止と言う徹底ぶりでした。さらに国民生活の隅々まで行き渡っていた度量衡も使用禁止、メートル法採用を強制しました。”昭和ヒトケタ”世代、現在、70歳以上の高齢者は、その損失がいかに大きかったか、を想い起こすこと屡々です。
★ 例えば・・・加賀百万石。日本史ででて来るこの大名の実力。今の若い人に理解できるでしょうか? 私たち高齢者は、この5文字の意味がよく理解できます。「毎日、食べる1椀のメシ、これは稲一束8勺(しゃく)分だよ。昔の小作人の労賃は稲40~50束だった、つまり3升2合から4升、それが1日分の労賃・・・・」と言う具合に家庭で食事をしながら度量衡を習ったものです。
★ ものの量りは、「石斗升合勺」で表しました。1石(こく)は10斗(と)、1斗が10升(しょう) 1升は10合(ごう) 1合は10勺(しゃく)です。そして、「良田では1反(現在のアールに相当)の収穫は米2石」 昔から「2反百姓は食えぬ」という格言がありました。人が飢えないで生活できる最低限が1年間に米1石。当時の家族構成は4人一家族でした。だから田地が2反(アール)しかない貧農は飢えに苦しむ、というたとえです。
★ 加賀百万石とは、百万人の人間を1年間食わせるだけの生産力を持つ領主を意味します。侍(さむらい)の賃金はすべて米の量目「石」で言い表しました。「禄高500石」・・・そう聞くだけで、どれほどの待遇か、ほぼ想像できますね。聞いた瞬間にほぼ大意が掴める。現に自分が生きている生活の度量衡と、歴史が刻む記録の度量衡が同じだからできるのです。その貴重な文化継承を、国家権力でぶち切ってしまったのが戦後教育でした。
★ 本当に惜しいことをした。それを知ってもらうためにもう一つ、例を挙げます。今でもマンションは「3LDK」と表示した場合、「3室ダイニング・キッチン」と説明し、3室は、「6畳二間、4畳半」で、合計90平方㍍、などと説明します。これ・・・・私たち高齢者には、何の意味も伝えない、干からびた説明ですね。
★ ここで言われている「6畳」「四畳半」はメートル法で設計されたスペースの床を6つに分け、四つ半に分けてタタミを作っただけです。畳本来の意味は全くありません。そのちぐはぐさは、「団地サイズ」と、銘打っていることからもはっきりしています。「団地サイズ」とは、伝統文化を継承しておりません、との但し書き、と理解すればいいでしょう。
★ 私たちは、子供の頃から、「畳(たたみ)1畳(じょう)は大人が大の字になって横たわる大きさ」と習いました。「それが三つ組み合わせると、書生部屋、四つ半で夫婦の部屋、六つで居間を作る、そして八つ組み合わせて客間になる。それが日本家屋の基準」 そして「人間死ねば半畳の墓場」でした。つまり、死体は座した土葬が普通だったのです。
★ タタミ1枚(大人が大の字になって横たわる)は、次のように国土を計る基準になってもいます。つまり畳2枚で1坪、30坪で1畝、10畝で1反(たん) 10反で1町(ちょう)と土地の広さにも用いられました。現在の日本の土地管理の基礎をなした豊臣秀吉の太閤検地は、これによってできあがっているのです。そのような貴重な民族の文化遺産を惜しげもなく抹殺してしまったのです。
★ 「春節」への想い・・・・とんだところに飛び火しましたが、やはり「昭和ヒトケタ」は、嘆きます。米をキロで量り、表現して何がわかるでしょう。我が国土をヘクタールで表して、どれだけの文化内容を盛り込めるのでしょう。1年を365日に切り刻むだけで何を私たちは得るのでしょう。旧暦の節句、農業に携わる人々は、今も旧暦で生きています。そちらが生活に便利だし、文化継承の教訓が多く盛り込まれているからです。
★ でも・・・・国家と学校教育は、その使用を禁じます。西暦主導の太陽暦、それを国際標準とする文化統合、じっくり考えてみると、その本質は、英米重商主義国家連合の文化侵略の側面が濃厚、と感じます。急速に失われゆく弱小民族の文化、精神汚染と断固、国際標準なるものを拒否するイスラム世界、少し、冷静に、自らの足下を見つめ直すと、また、異なった見方もできるのではないか。そう思います。
by zenmz
| 2006-01-29 17:34