2006年 02月 09日
【6043】 世界と結ぶ私の”マラッカ風書斎” |
★ マラッカに来て10日、やっと慌ただしく追い込まれるのではなく自分のペースで生活が作れる、そのような余裕が出て来ました。最初の数日は二ヶ月前にお知り合いになった方々との再会とパーティ続き。そこから更に伸びた新しい方々との友情の深めに毎日、社交の時を過ごしました。それはそれで実に得難い、楽しい経験でした。
★ しかし、本来、私が願って来た、【鄭和研究】は全く手つかずのままでした。昨日の陳達生博士との再会は本当に幸運でした。失った時間を取り戻すかのように一気に豊富な新情報と貴重な文献を頂戴しました。更に私の願いを満たしてくれる更なる幸運が重なりました。25歳の若い実業家・鄭威傑さんとの出会いです。
★ 「是非、テイ君と会って下さい。私は彼が高校生の頃からの知り合いで、スターバックスでアルバイトをしていたのですが、突然、治療法がない難病にかかり自宅で療養生活を余儀なくされていたのですが、一念発起、コーヒー・ショップを始めて、それで大成功したサクセス・ストーリーの人です」 マラッカ通の方が、特に熱心に会うように薦めて下さった青年です。
★ 『フレンズ』・・・・私のアパートから徒歩で僅か数分。2階建てのモダンなお店。いつも買い物に出かけるショッピング・センター「マコタ・パレード」に行く途中にあったので、毎日、気をつけていたのですが、一回も空いていたことがありません。正直なところ、経営不振なのかな?、といぶかりました。
★ 一昨日夜、偶然、通りかかりますと、煌々と電気が点いていて、客が大勢、詰めかけているではありませんか。ドアを押すと、若い店員が数人、一斉にこちらの目を向けました。 "Mr. Tay? I would like to see Mr. Tay" 一番、奥にいた大柄の青年が大きな声で返して来ました。”It’s me, I am Tay."
★ 手短にトニーさんが紹介して下さった経緯を説明し、何故、このマラッカに来たのかをお話しすると、「午後8時半まで忙しい仕事が控えており手が離せません。その後、お食事をご招待したいと思います。ここでコーヒーをお試しになってお待ち下さいませんか? 私がブレンドした自慢のコーヒーです」
★ 「フレンズ」は、何時も行っていたスターバックスと同じ感じのインターネット・カフェです。Mr. Tay こと鄭威傑さんが経営者。階下が個人、小人数用の座席、2階にグループ用の大きなテーブル。更にベランダにも自由に移動出来る簡便なテーブルが配置してあります。どの席からでもインターネット接続出来るのかご自慢。
★ やはりお客は若者が圧倒的に多い。しかもパソコン・オタクは殆どいません。みんな飲み、しゃべるのが目的。自分がパソコン・オタク的存在なのに、そう言うのも誠に奇妙な矛盾ですが、それを見て、実はホッとしています。ここでみんながモノも言わず、パソコンやってたら・・・やっぱり気分、悪いですね。
★ コーヒーがメインですが、メニューはいろいろ。西洋風料理から日本食まで何でもあります。特に鄭威傑・若社長のご自慢は「ヒロシマ風お好み焼き」 マラッカにはホンダや松下など日本の進出企業も多く、その駐在員がよく尋ねてくれるそうですが、「ここのお好み焼きだけは日本のと同じ味と太鼓判を押してくれた」そうで、老妻に「是非、食べて細かい指導をお願いします」と言ってました。
★ 現在、従業員18人。店は経営難どころか大流行でした。ただ営業時間が午後4時開店で翌朝の午前3時までという深夜営業専門。私が誤解したのは、この営業時間のズレのためでした。午後8時半きっかりに「お待たせしました。もう有名店でのお食事はなさいましたでしょう。今夜は、地元の人しか行かない”オフクロの味”家庭料理店”にご案内します。
★ 食事をしながら語ってくれた身の上話を織り込んだサクセス・ストリーは実に興味深いものでした。プライバシーの問題もあり、詳細は公開できませんが、つい数年前まではマコタ・パレードのコーヒー店でアルバイトをしていた平凡な青年でした。まあ、言ってみれば、元祖・フリーター。
★ ところが、治療不能と医師がサジを投げた難病にかかり大手術。膵臓を全部、摘出してやっと命を取り留めました。哀れんだ父親はとりあえず何も考えずに家にとどまり養生専一を強調。しかし、やがてこのまま家に閉じこもって何の人生か? 思い悩んだ挙げ句、家を飛び出し、兄弟・親戚からお金を借りてコーヒー店を開いたのです。
★ 今、この記事を書いている最中にそのお母さんがお店に現れました。「すばらしい息子さんをお持ちで・・・おめでとう。心からお祝い申し上げます」 そして一緒に記念写真を撮りました。
★ 「時に21歳。生死の瀬戸際に立って私は、ともかく自分の好きなことを徹底的にやってみたい、と思いました。私は、コーヒーが好きです。だから世界一のコーヒーブレンドを作ってみんなに飲んで貰いたかった。それが支持されたのです。私の考えを理解してくれたのは母親と二人の姉だけ。無一文、資本の全部を親類・縁者から集めて始めましたが、3年で全部、借金は返しました。
★ 横で聞いて」いた老妻は、深い感銘を受けたようです。「一言、私の意見、聞いて」と感想を挟みました。「日本には”一病息災”と言う格言があります。ほら、こう書くの。多分、中国人も同じように言うと思います・・・」 「おお、分かります」 「あなたを見ていると元気です。もう病気は消えて、大丈夫ですよ。後は養生だけ。”一病息災”を信じなさい」
★ 「毎日、インシュリンを注射しなければなりません。これは一生、続く宿命です」 「でも、インシュリンはご飯、食べるのと同じでしょう。私も、毎日、ご飯、食べるのが宿命です。ちょうど、いい。目の前にいい見本がいます。この人、65歳の時、腎臓ガンが見つかって摘出手術を受けました。医師は「高齢だから・・・成功は3割、いやもっと少ないかも・・・転移しているかもしれません」と言いました。でも、それから10年、未だ元気でマラッカへ来ましたよ。この人、病人に見えますか? いつも”一病息災”と言って、家では何もしないけど」と、笑わせています。
★ 「店の経営は順調ですか?」 「非常にうまくいっています。私は経営に関する知識は皆無でしたが、必要に応じて学びました。この3年、毎日が新しいことへの挑戦でした。随分、勉強しました」 「これから事業をどのように発展させますか?」 「この先、1年以内に支店を二つ出します。そして2,3年計画でコーヒー専門家を養成する学校を建設してコーヒーに関する高い実務・教養を身につけた専門家を計画的に養成します。マレーシアには”専門家”を公称出来る人はいません。その必要を痛感しています。今、私の頭の中にあるのは、この学校建設です」
★ にこやかに、自信たっぷりに語る鄭社長。これが25歳!? 先ず自分の25歳を重ね合わせ、自然に出てきた質問を被せました。「私は25歳で結婚した。あなたは?」 「結婚は考えません。それを考えると、どうしても自分を苦しめている難病を思います。物事が後ろ向きになる。私は、今、前に進まねばなりません」とキッパリ。エライなー。こんなにハキハキモノを言う25歳に会ったコトありません。
★ 「お好み焼きのことだけど・・・」と老妻が割って入りました。
「おお、お好み焼きの話。私は、高校生の時、日本との文化交流計画で鹿児島でホームステイしました。その時、お好み焼きを食べて病みつきになったのです。このお店を始めて、トニーさんに日本へ連れていってもらって九州や大阪・広島でお好み焼き屋を歴訪し、本格的にお好み焼きの修行もしました。是非、一度、奥さんに試して頂いて、率直な評価をいただきたいです。私の願いは”ホンモノ”であること。 どうか、アドバイス下さい。お願いします」
★ 「さて、私に何か、お手伝い出来ること、ありますか。何でも言ってください。車でどこへでもお連れしますよ」
「ありがとう鄭さん、私がマラッカに来たのは鄭和研究のためです。お願いしたいことは二つ、あります。一つは、私はマラッカ日記を毎日、書いて日本にいる家族、友人に私たち夫婦のマラッカ体験をリアル・タイムに知らせています。この”フレンズ”を情報発信基地として使わせて下さい」 「お安いご用です。何時間でもどうぞ」
★ 「もう一つは、今、お店に入るときに気づいたことです。お隣が新聞社のマラッカ支局ですね。ここの記者に仲間がいますか? もし気心がしれた記者がおれば紹介して下さい。私も新聞記者でした。聞きたいことがいっぱいあります。出来れば、次の質問をして見て下さい」
★ 「【日本から来た元記者が、マレーシアの”CBR for the disabled"をみたいと言っている。このマラッカでやってるか?】 出来れば、この質問が分かる記者がいいですね」 「それ? なんですか?」 「Community Based Rehabilitation 障害者の福祉に関する新しい考え方で、障害者を施設に入れるのではなく、障害者が生まれ育ったその場所で、近隣の人々と同じように教育を受け、生活技術を覚え、職を得る。それを実際に実現する取り組みです」
★ 「私は日本の大学で長い間、障害者福祉の講義をしてきました。CBRは国連決議に基づいて専門機関が環太平洋加盟諸国に提唱したのですが、その実践は先ず、マレーシアのペナンで始まり、今、日本を含む関係各国で注目の的になっています」 「ヘェー、全く知りませんでした。記者は皆、友達です。聞いて見ます」 「その実践を見たい。実は、私が住んでいる日本の岡山。吉備高原都市でもそれに似た”障害者と共に生きる”街作りをしていますよ。何故、興味が?、と言われたら、そのことも話してみて下さい」
★ 話ながら、これで私のマラッカ生活は”定着”出来そう・・・本当に落ち着いた気分になりました。これからは毎日、午後9時~10時までは市内各地を思うままに動き回り、視察・見学・社交の生活を生き、午後9時になると「フレンズ」にこもる。ここを書斎に一日のまとめをする。これで日本での私の日常生活リズムを取り戻せる・・・・
★ 新しい私の居場所、世界と結ぶ私の”マラッカ風書斎”です。
★ しかし、本来、私が願って来た、【鄭和研究】は全く手つかずのままでした。昨日の陳達生博士との再会は本当に幸運でした。失った時間を取り戻すかのように一気に豊富な新情報と貴重な文献を頂戴しました。更に私の願いを満たしてくれる更なる幸運が重なりました。25歳の若い実業家・鄭威傑さんとの出会いです。
★ 「是非、テイ君と会って下さい。私は彼が高校生の頃からの知り合いで、スターバックスでアルバイトをしていたのですが、突然、治療法がない難病にかかり自宅で療養生活を余儀なくされていたのですが、一念発起、コーヒー・ショップを始めて、それで大成功したサクセス・ストーリーの人です」 マラッカ通の方が、特に熱心に会うように薦めて下さった青年です。
★ 一昨日夜、偶然、通りかかりますと、煌々と電気が点いていて、客が大勢、詰めかけているではありませんか。ドアを押すと、若い店員が数人、一斉にこちらの目を向けました。 "Mr. Tay? I would like to see Mr. Tay" 一番、奥にいた大柄の青年が大きな声で返して来ました。”It’s me, I am Tay."
★ 手短にトニーさんが紹介して下さった経緯を説明し、何故、このマラッカに来たのかをお話しすると、「午後8時半まで忙しい仕事が控えており手が離せません。その後、お食事をご招待したいと思います。ここでコーヒーをお試しになってお待ち下さいませんか? 私がブレンドした自慢のコーヒーです」
★ 「フレンズ」は、何時も行っていたスターバックスと同じ感じのインターネット・カフェです。Mr. Tay こと鄭威傑さんが経営者。階下が個人、小人数用の座席、2階にグループ用の大きなテーブル。更にベランダにも自由に移動出来る簡便なテーブルが配置してあります。どの席からでもインターネット接続出来るのかご自慢。
★ やはりお客は若者が圧倒的に多い。しかもパソコン・オタクは殆どいません。みんな飲み、しゃべるのが目的。自分がパソコン・オタク的存在なのに、そう言うのも誠に奇妙な矛盾ですが、それを見て、実はホッとしています。ここでみんながモノも言わず、パソコンやってたら・・・やっぱり気分、悪いですね。
★ コーヒーがメインですが、メニューはいろいろ。西洋風料理から日本食まで何でもあります。特に鄭威傑・若社長のご自慢は「ヒロシマ風お好み焼き」 マラッカにはホンダや松下など日本の進出企業も多く、その駐在員がよく尋ねてくれるそうですが、「ここのお好み焼きだけは日本のと同じ味と太鼓判を押してくれた」そうで、老妻に「是非、食べて細かい指導をお願いします」と言ってました。
★ 現在、従業員18人。店は経営難どころか大流行でした。ただ営業時間が午後4時開店で翌朝の午前3時までという深夜営業専門。私が誤解したのは、この営業時間のズレのためでした。午後8時半きっかりに「お待たせしました。もう有名店でのお食事はなさいましたでしょう。今夜は、地元の人しか行かない”オフクロの味”家庭料理店”にご案内します。
★ ところが、治療不能と医師がサジを投げた難病にかかり大手術。膵臓を全部、摘出してやっと命を取り留めました。哀れんだ父親はとりあえず何も考えずに家にとどまり養生専一を強調。しかし、やがてこのまま家に閉じこもって何の人生か? 思い悩んだ挙げ句、家を飛び出し、兄弟・親戚からお金を借りてコーヒー店を開いたのです。
★ 今、この記事を書いている最中にそのお母さんがお店に現れました。「すばらしい息子さんをお持ちで・・・おめでとう。心からお祝い申し上げます」 そして一緒に記念写真を撮りました。
★ 「時に21歳。生死の瀬戸際に立って私は、ともかく自分の好きなことを徹底的にやってみたい、と思いました。私は、コーヒーが好きです。だから世界一のコーヒーブレンドを作ってみんなに飲んで貰いたかった。それが支持されたのです。私の考えを理解してくれたのは母親と二人の姉だけ。無一文、資本の全部を親類・縁者から集めて始めましたが、3年で全部、借金は返しました。
★ 横で聞いて」いた老妻は、深い感銘を受けたようです。「一言、私の意見、聞いて」と感想を挟みました。「日本には”一病息災”と言う格言があります。ほら、こう書くの。多分、中国人も同じように言うと思います・・・」 「おお、分かります」 「あなたを見ていると元気です。もう病気は消えて、大丈夫ですよ。後は養生だけ。”一病息災”を信じなさい」
★ 「毎日、インシュリンを注射しなければなりません。これは一生、続く宿命です」 「でも、インシュリンはご飯、食べるのと同じでしょう。私も、毎日、ご飯、食べるのが宿命です。ちょうど、いい。目の前にいい見本がいます。この人、65歳の時、腎臓ガンが見つかって摘出手術を受けました。医師は「高齢だから・・・成功は3割、いやもっと少ないかも・・・転移しているかもしれません」と言いました。でも、それから10年、未だ元気でマラッカへ来ましたよ。この人、病人に見えますか? いつも”一病息災”と言って、家では何もしないけど」と、笑わせています。
★ 「店の経営は順調ですか?」 「非常にうまくいっています。私は経営に関する知識は皆無でしたが、必要に応じて学びました。この3年、毎日が新しいことへの挑戦でした。随分、勉強しました」 「これから事業をどのように発展させますか?」 「この先、1年以内に支店を二つ出します。そして2,3年計画でコーヒー専門家を養成する学校を建設してコーヒーに関する高い実務・教養を身につけた専門家を計画的に養成します。マレーシアには”専門家”を公称出来る人はいません。その必要を痛感しています。今、私の頭の中にあるのは、この学校建設です」
★ にこやかに、自信たっぷりに語る鄭社長。これが25歳!? 先ず自分の25歳を重ね合わせ、自然に出てきた質問を被せました。「私は25歳で結婚した。あなたは?」 「結婚は考えません。それを考えると、どうしても自分を苦しめている難病を思います。物事が後ろ向きになる。私は、今、前に進まねばなりません」とキッパリ。エライなー。こんなにハキハキモノを言う25歳に会ったコトありません。
★ 「お好み焼きのことだけど・・・」と老妻が割って入りました。
「おお、お好み焼きの話。私は、高校生の時、日本との文化交流計画で鹿児島でホームステイしました。その時、お好み焼きを食べて病みつきになったのです。このお店を始めて、トニーさんに日本へ連れていってもらって九州や大阪・広島でお好み焼き屋を歴訪し、本格的にお好み焼きの修行もしました。是非、一度、奥さんに試して頂いて、率直な評価をいただきたいです。私の願いは”ホンモノ”であること。 どうか、アドバイス下さい。お願いします」
★ 「さて、私に何か、お手伝い出来ること、ありますか。何でも言ってください。車でどこへでもお連れしますよ」
「ありがとう鄭さん、私がマラッカに来たのは鄭和研究のためです。お願いしたいことは二つ、あります。一つは、私はマラッカ日記を毎日、書いて日本にいる家族、友人に私たち夫婦のマラッカ体験をリアル・タイムに知らせています。この”フレンズ”を情報発信基地として使わせて下さい」 「お安いご用です。何時間でもどうぞ」
★ 「もう一つは、今、お店に入るときに気づいたことです。お隣が新聞社のマラッカ支局ですね。ここの記者に仲間がいますか? もし気心がしれた記者がおれば紹介して下さい。私も新聞記者でした。聞きたいことがいっぱいあります。出来れば、次の質問をして見て下さい」
★ 「【日本から来た元記者が、マレーシアの”CBR for the disabled"をみたいと言っている。このマラッカでやってるか?】 出来れば、この質問が分かる記者がいいですね」 「それ? なんですか?」 「Community Based Rehabilitation 障害者の福祉に関する新しい考え方で、障害者を施設に入れるのではなく、障害者が生まれ育ったその場所で、近隣の人々と同じように教育を受け、生活技術を覚え、職を得る。それを実際に実現する取り組みです」
★ 「私は日本の大学で長い間、障害者福祉の講義をしてきました。CBRは国連決議に基づいて専門機関が環太平洋加盟諸国に提唱したのですが、その実践は先ず、マレーシアのペナンで始まり、今、日本を含む関係各国で注目の的になっています」 「ヘェー、全く知りませんでした。記者は皆、友達です。聞いて見ます」 「その実践を見たい。実は、私が住んでいる日本の岡山。吉備高原都市でもそれに似た”障害者と共に生きる”街作りをしていますよ。何故、興味が?、と言われたら、そのことも話してみて下さい」
★ 話ながら、これで私のマラッカ生活は”定着”出来そう・・・本当に落ち着いた気分になりました。これからは毎日、午後9時~10時までは市内各地を思うままに動き回り、視察・見学・社交の生活を生き、午後9時になると「フレンズ」にこもる。ここを書斎に一日のまとめをする。これで日本での私の日常生活リズムを取り戻せる・・・・
★ 新しい私の居場所、世界と結ぶ私の”マラッカ風書斎”です。
by zenmz
| 2006-02-09 21:22