2006年 02月 13日
【6047】 マラッカ狂乱・・・お正月明けのライオン・ダンス |
★ 2月12日午後9時。首にぶら下げていたケイタイ電話が鳴りました。「キムです。今、ジョンカー・ウオークにいます。これから最後の獅子舞がありますよ。来ませんか?」 親切に声かけしてくれたのは、スターバックス・カフェでおなじみのキムさんです。昨日、こちらの新聞、the Star に掲載されていた記事を思い出しました。手帳にもその概要は記録してあります。 Chap Goh Mei Celebration・・・・ the celebration that mark the end of Chinese New Year with Lion Dance. Venue : Jonker Walk 「春節」 中国のお正月は12月29日に始まり15日間、いよいよ最後の締めがチャイニーズ・タウンで始まる、とのお誘いです。
★ 一瞬、断ろうか、と思いました。もう9時。ジョンカー・ウオークは3キロも離れています。タクシーは絶対に拾えない。歩くには少々、遠すぎます。「ゼニモトさん、1年に1回しかありません。折角、マラッカまで来て、これを見なかったら、ダメです」 その一言が私を前に押し出しました。「OK、タクシーがあれば直ぐ。歩いても40分後に着くでしょう。近くへ行ったら電話します」 「OK, OK ノープロブレム」
★ もう寝間着姿の老妻は「私はパス。一人で、どうぞ」 夜の街に出かけました。案の定、歩きながら捉えようとしたタクシーは1台も走っていません。マラッカでは流しのタクシーはなく、タクシー利用には、特定のタクシー乗り場に行かねばなりません。この近くで言えば、1キロ半先のショッピング・センター「マコタ・パレード」 いずれにせよアテにはなりません。ともかく歩くことにしました。片道3キロ、散歩には適当な距離です。日本では毎日、歩いています。
★ ジョンカー・ウオークは、『鄭和博物館』の直ぐ側を南北に走っているチャイナ・タウンのメイン・ストリートです。毎週、週末には午後7時頃から夜店が出て歩行者天国になります。 今日はその名物「ナイト・マーケット」と春節の終わりを祝う獅子舞(ライオン・ダンス)が重なり、大にぎわい。舞台が作られた通りの奥までビッシリ埋め尽くした群衆の間を縫いながら近づくのは至難の業でした。「キムさん、抜け道、教えて」 ケイタイで救いを求めました。人よりアタマ一つ背丈があるキムさん。見失うことはありません。頼りになります。
★ 早速、私のところに駆けつけてくれたキムさんの後について舞台の作られた広場に到着しました。午後10時。もう獅子舞は最高潮に達していました。でも見えるのはビッシリ押し寄せた人々の頭の行列だけ。時折、舞い上がる獅子舞が夜光に映し出されます。いくつも繰り出される獅子舞を指揮、鼓舞するスピーカーの大声、それを大音響の音楽が更に盛り上げます。
★ 「今は、ちょっと見にくいかもしれませんが辛抱して・・・もう少ししたら舞台がこちらに移ります。今、ゼニモトさんがいる場所が一番、いいです」 目の前に3メートルちかくもの高さがある大きな柱がずらりと並んで立っています。キムさんは獅子舞がその柱の上を飛び跳ねながら踊るハズ、と言います。待つこと30分。いよいよ群衆が向きを変えました。
★ 今度は目と鼻の先。赤い獅子が空に舞い上がったか、と思うと、突然、1メートル近く前の滑り台に落ちて来ました。あまりにも近くなので何が起こったのか? ビックリしましたが、これも演技。空中に舞い上がった獅子が落下する曲芸であったのです。
★ 春節の獅子舞は、神戸の中華街で見たことがありますが、これほど大規模ではありませんでした。それに日本の場合はもう少し、お上品です。今、目の前に展開している獅子舞は実に荒技、それを見る群衆は素朴です。観衆はその荒技に春節の喜びを全身で応えます。スピーカーの音を押し戻す民衆の賞賛の声。否が応でも興奮の渦に巻き込まれます。
★ 獅子軍団が群衆に送られながら所属会館に戻ると、群衆は、そのまま散りました。ようやく歩けるようになったナイト・マーケット。食べ物屋さんだけが繁盛し、雑貨、土産物店は店じまいをしています。午後11時。私たちも路上いっぱいに広げられたテーブルに腰を下ろして冷たいジュースで疲れを癒しました。
★ 「これで春節は終わりです」 「日本でもお正月は15日間。1月15日までは”松の内”と言って年賀の挨拶を交わしますよ。私たちはお互い同じ文化を共有していますね」「そうですか? 知りませんでした」 「スゴイ祭りだけど・・・これ、中国系の人たちだけでしょう。インドやマレーの人たちは?」 「関係ありません。それぞれに伝統のお祭りがあります。お互いに干渉はしません」 「でも・・・これだけの大音響。苦情は出ないの?」 「それぞれ住んでいる場所が違います。ここにはマレー人はいません」
★ 多民族国家・マレーシア。それぞれの民族が多様な伝統文化を純粋に保持しながらお互いに違いを認め合う。インド、マレー、中国・・・それぞれ異なる人々が、強烈な民族意識を持ち続けながら”マレーシア人”としての「イデオロギー・アイデンティティ」に一つの国家・国民として調和している。この国の不思議な姿の一端をかいま見た思いを深めました。この寛容さが国家存立の前提になっているのですね。「多様性の統一」 マレーシアの国家理念を支えているのは、民衆の寛容の精神だ、と痛感しました。戻ったのは深夜1時。しんどかったけど、本当にいい経験をしました。
★ 一瞬、断ろうか、と思いました。もう9時。ジョンカー・ウオークは3キロも離れています。タクシーは絶対に拾えない。歩くには少々、遠すぎます。「ゼニモトさん、1年に1回しかありません。折角、マラッカまで来て、これを見なかったら、ダメです」 その一言が私を前に押し出しました。「OK、タクシーがあれば直ぐ。歩いても40分後に着くでしょう。近くへ行ったら電話します」 「OK, OK ノープロブレム」
★ もう寝間着姿の老妻は「私はパス。一人で、どうぞ」 夜の街に出かけました。案の定、歩きながら捉えようとしたタクシーは1台も走っていません。マラッカでは流しのタクシーはなく、タクシー利用には、特定のタクシー乗り場に行かねばなりません。この近くで言えば、1キロ半先のショッピング・センター「マコタ・パレード」 いずれにせよアテにはなりません。ともかく歩くことにしました。片道3キロ、散歩には適当な距離です。日本では毎日、歩いています。
★ ジョンカー・ウオークは、『鄭和博物館』の直ぐ側を南北に走っているチャイナ・タウンのメイン・ストリートです。毎週、週末には午後7時頃から夜店が出て歩行者天国になります。 今日はその名物「ナイト・マーケット」と春節の終わりを祝う獅子舞(ライオン・ダンス)が重なり、大にぎわい。舞台が作られた通りの奥までビッシリ埋め尽くした群衆の間を縫いながら近づくのは至難の業でした。「キムさん、抜け道、教えて」 ケイタイで救いを求めました。人よりアタマ一つ背丈があるキムさん。見失うことはありません。頼りになります。
★ 早速、私のところに駆けつけてくれたキムさんの後について舞台の作られた広場に到着しました。午後10時。もう獅子舞は最高潮に達していました。でも見えるのはビッシリ押し寄せた人々の頭の行列だけ。時折、舞い上がる獅子舞が夜光に映し出されます。いくつも繰り出される獅子舞を指揮、鼓舞するスピーカーの大声、それを大音響の音楽が更に盛り上げます。
★ 「今は、ちょっと見にくいかもしれませんが辛抱して・・・もう少ししたら舞台がこちらに移ります。今、ゼニモトさんがいる場所が一番、いいです」 目の前に3メートルちかくもの高さがある大きな柱がずらりと並んで立っています。キムさんは獅子舞がその柱の上を飛び跳ねながら踊るハズ、と言います。待つこと30分。いよいよ群衆が向きを変えました。
★ 今度は目と鼻の先。赤い獅子が空に舞い上がったか、と思うと、突然、1メートル近く前の滑り台に落ちて来ました。あまりにも近くなので何が起こったのか? ビックリしましたが、これも演技。空中に舞い上がった獅子が落下する曲芸であったのです。
★ 春節の獅子舞は、神戸の中華街で見たことがありますが、これほど大規模ではありませんでした。それに日本の場合はもう少し、お上品です。今、目の前に展開している獅子舞は実に荒技、それを見る群衆は素朴です。観衆はその荒技に春節の喜びを全身で応えます。スピーカーの音を押し戻す民衆の賞賛の声。否が応でも興奮の渦に巻き込まれます。
★ 獅子軍団が群衆に送られながら所属会館に戻ると、群衆は、そのまま散りました。ようやく歩けるようになったナイト・マーケット。食べ物屋さんだけが繁盛し、雑貨、土産物店は店じまいをしています。午後11時。私たちも路上いっぱいに広げられたテーブルに腰を下ろして冷たいジュースで疲れを癒しました。
★ 「これで春節は終わりです」 「日本でもお正月は15日間。1月15日までは”松の内”と言って年賀の挨拶を交わしますよ。私たちはお互い同じ文化を共有していますね」「そうですか? 知りませんでした」 「スゴイ祭りだけど・・・これ、中国系の人たちだけでしょう。インドやマレーの人たちは?」 「関係ありません。それぞれに伝統のお祭りがあります。お互いに干渉はしません」 「でも・・・これだけの大音響。苦情は出ないの?」 「それぞれ住んでいる場所が違います。ここにはマレー人はいません」
★ 多民族国家・マレーシア。それぞれの民族が多様な伝統文化を純粋に保持しながらお互いに違いを認め合う。インド、マレー、中国・・・それぞれ異なる人々が、強烈な民族意識を持ち続けながら”マレーシア人”としての「イデオロギー・アイデンティティ」に一つの国家・国民として調和している。この国の不思議な姿の一端をかいま見た思いを深めました。この寛容さが国家存立の前提になっているのですね。「多様性の統一」 マレーシアの国家理念を支えているのは、民衆の寛容の精神だ、と痛感しました。戻ったのは深夜1時。しんどかったけど、本当にいい経験をしました。
by zenmz
| 2006-02-13 17:33