2006年 04月 07日
【6083】 新鋭ジャーナリストの登場 |
★ インターネット新聞創世の今、私が最も注目している新鋭ジャーナリストは、松村宏氏です。米子市出身の自称、 イラストレーター。、朝日新聞デザイン部に9年間在籍した後、フリーになって、現在、新聞・雑誌・テレビなどで大活躍しておられます。その作品と作風を見て、ネット時代到来と同時に【時事風刺専門のニュース・イラスト】という新しいジャンルを切り開かれた卓見に驚嘆しています。
★ どんな方なのか? 年齢も、経歴も、何もしりません。が、この方の作品をご覧になれば、どなたでも、一度は「ああ、見たことがある」と合点されるでしょう。ご自身が主宰される「かおかぶランキング」というこれまたユニークなホームページに毎日、作品を公開しておられるので、是非一度ご覧下さい。毎日、毎日、その日の”ニュースの顔”を株価に見立てて、主人公の似顔絵と辛口コメントをつけて発表する「ニュース・ヘッドライン」 実におもしろいです。
★ とにかく鋭い感覚の時事風刺。私は毎日、愛読していますが、まずイラストがスゴイです。同じ有名人が何回か登場しますが、その都度、”かおかぶ”つまり取り上げるニュース価値(株価)が見事に表情に取り込まれていてワサビのきいたコメントを合わせ読むと、思わずニタニタと口元がほころんできます。
★ これは、落合芳幾の再来だ! 私は、今、日本最初の日刊新聞。「東京日々新聞」を発刊した創始者の一人、浮世絵師・芳幾を思い浮かべています。日本最初の日刊新聞発行は、明治5年1月8日、江戸の戯作者・条野伝平、札差(金融業者)西田伝助、浮世絵師・落合芳幾の3人が新聞発刊願いを大蔵省に提出したのが始まりです。芳幾は、日本の日刊新聞生みの親の一人なのです。
★ 認可され、「東京日々新聞」の題号の元に発行されたのは明治5年(1972)2月21日。芳幾は自ら作った新聞にしばしば挿絵を描いています。先人未踏のニュース挿絵・・・・芳幾は、写真など全く無かった時代に日本最初の新聞挿絵の原型を作り上げました。
★ 条野、西田、芳幾の3人は、新聞創刊のずっと前から江戸では誰知らぬ人もなかったほどの有名人でした、と言うのも、その頃、「酔狂連」という三題噺で遊ぶ会があり、この3人が中心世話人役だったからです。そのメンバー82人を芳幾が画いた「久満南伎影」という画集が残っています。それぞれに人物評が記されており、芳幾(写真右下)には「筆才のみならず頓智発明世才にたけ、殊に秀句頓作の達人にして、平常の軽口実に滑稽の長者たり」と記されています。
松村さんもひょっとして・・・と、思ったりします。
★ 私が、松村宏氏を落合芳幾の再来、と、重ね合わせて感銘を受けるのは、お二人とも、新メディア出現という時代背景を背負い、それぞれ新しい報道ジャンルを創出する輝かしい仕事を成し遂げられた偉業を見るからです。
★ 日本初の新聞発行に当たり芳幾は新聞挿絵の原型を作りました。インターネット新聞の登場でいち早く松村氏は【時事風刺専門のニュース・イラスト】を切り開き、新聞、テレビが一斉に注目し、来るべきネットとテレビの総合に向けての取り組みを始めています。明らかに大きなインパクトを通信・放送界に与えました。
★ 理屈はともかく、見ていて、読んでいて、おもしろい。おもしろいだけでなく、説得性のある、パンチの効いた時事風刺は、共感の輪を広げ、世論形成に大きな影響をもたらすでしょう。すばらしい新型ジャーナリストの登場です。是非、皆さんも一度、ご覧下さい。きっと松村ファンになります。
★ どんな方なのか? 年齢も、経歴も、何もしりません。が、この方の作品をご覧になれば、どなたでも、一度は「ああ、見たことがある」と合点されるでしょう。ご自身が主宰される「かおかぶランキング」というこれまたユニークなホームページに毎日、作品を公開しておられるので、是非一度ご覧下さい。毎日、毎日、その日の”ニュースの顔”を株価に見立てて、主人公の似顔絵と辛口コメントをつけて発表する「ニュース・ヘッドライン」 実におもしろいです。
★ とにかく鋭い感覚の時事風刺。私は毎日、愛読していますが、まずイラストがスゴイです。同じ有名人が何回か登場しますが、その都度、”かおかぶ”つまり取り上げるニュース価値(株価)が見事に表情に取り込まれていてワサビのきいたコメントを合わせ読むと、思わずニタニタと口元がほころんできます。
★ これは、落合芳幾の再来だ! 私は、今、日本最初の日刊新聞。「東京日々新聞」を発刊した創始者の一人、浮世絵師・芳幾を思い浮かべています。日本最初の日刊新聞発行は、明治5年1月8日、江戸の戯作者・条野伝平、札差(金融業者)西田伝助、浮世絵師・落合芳幾の3人が新聞発刊願いを大蔵省に提出したのが始まりです。芳幾は、日本の日刊新聞生みの親の一人なのです。
★ 認可され、「東京日々新聞」の題号の元に発行されたのは明治5年(1972)2月21日。芳幾は自ら作った新聞にしばしば挿絵を描いています。先人未踏のニュース挿絵・・・・芳幾は、写真など全く無かった時代に日本最初の新聞挿絵の原型を作り上げました。
松村さんもひょっとして・・・と、思ったりします。
★ 私が、松村宏氏を落合芳幾の再来、と、重ね合わせて感銘を受けるのは、お二人とも、新メディア出現という時代背景を背負い、それぞれ新しい報道ジャンルを創出する輝かしい仕事を成し遂げられた偉業を見るからです。
★ 日本初の新聞発行に当たり芳幾は新聞挿絵の原型を作りました。インターネット新聞の登場でいち早く松村氏は【時事風刺専門のニュース・イラスト】を切り開き、新聞、テレビが一斉に注目し、来るべきネットとテレビの総合に向けての取り組みを始めています。明らかに大きなインパクトを通信・放送界に与えました。
★ 理屈はともかく、見ていて、読んでいて、おもしろい。おもしろいだけでなく、説得性のある、パンチの効いた時事風刺は、共感の輪を広げ、世論形成に大きな影響をもたらすでしょう。すばらしい新型ジャーナリストの登場です。是非、皆さんも一度、ご覧下さい。きっと松村ファンになります。
by zenmz
| 2006-04-07 00:12
| 現代社会論