2006年 04月 18日
【6094】 44368号、105万コマの意味 |
★ 44368号。今日、2006年4月18日付け『毎日新聞』の号数です。何の変哲もない、どの新聞・雑誌にもついている号数ですが、この「44368号」には特別の意味があります。日本で発行されている日刊新聞で最高齢。そうです。日本で一番、古い日刊新聞。明治5年(1872)2月21日の創刊。以来、毎日、日本近代化の歩みを刻み続けて4万4368号。
★ その誇るべき『毎日新聞』の創刊以来の全ページのデジタル化が、この3月末に完成しました。これまた、特筆すべき重要事項があります。日本の新聞で創刊以来、全く欠号のない全国紙は『毎日新聞』以外にありません。これはあまり知られていないことですが、それだけに貴重と言えるでしょう。この紙面データーは、先ず、毎日新聞社内LANの統合データベースに収録されて、6月から日常の新聞製作に活用されます。
★ 創刊以来の全紙面、と申しましたが、正確にいいますと、『東京日々新聞』から2004年までの『大阪日報』および『大阪毎日新聞』の全紙面です。全部で105万コマ。昨年5月から10ヶ月かけて完成しました。デジタル化原本は、DVDに保存されて大阪・東京両本社の情報調査部内に保存されます。いずれ、これを元に各種の出版物が一般に頒布・公開されることでしょう。
★ この編集・制作過程で、新たに発見された興味深いエピソードがあります。今日、私の手元に届いた『毎日新聞社報』から拾い出してみましょう。
◇ 先ず、創刊号の誕生日です。普通、毎日新聞は、「2月21日」とし記した創刊号の日付をもって、その日と紹介しています。しかし、これは、太陰暦で、現在の太陽暦に換算しますと、3月20日。季節感は春のお彼岸に合致します。
◇ 興味深いのは、創刊号は手彫りの木版彫刻でした。アメリカから輸入した鉛活字と活版印刷機による活字出版は第2号から。さらに興味深い事実は、第3号と第4号が同じ日付になっていたそうです。調査の結果、第3号の日数を1日多く印字したものと判明しました。
◇ 戦時中は、用紙難で裏表1枚のタブロイド新聞、それも同一紙面を3社協同題字で発行する時期もありましたが、驚くべきことに、1日に128ページもの分厚い新聞を発行したのは明治時代でした。明治34年(1901)10月4日付けの9000号記念。
紙面内容は、内政・外交、財政・経済、教育・美術など多方面の各界権威が執筆しているそうです。恐らく、日本で最初にして最後、134年におよぶ毎日新聞の歴史の中で最多ページです。
◇ 私事ながら、私の実父が生まれた年です。105年前の話。明治人はケタ違いの壮挙を成し遂げる豪傑揃いだったのですね。我々に、このエネルギーはありません。ほとほと感心します。
◇夕刊が定期的に発行されるようになったのは大正12年(1923)9月18日から。関東大震災直後です。おもしろいことに、この夕刊第1号は19日付けになっています。以来、夕刊は翌日日付発行が続きました。
★ こうした新聞裏話・・・興味深いエピソードは『毎日新聞社史』にもふんだんに紹介されています。また、機会があれば、ご紹介しましょう。
★ その誇るべき『毎日新聞』の創刊以来の全ページのデジタル化が、この3月末に完成しました。これまた、特筆すべき重要事項があります。日本の新聞で創刊以来、全く欠号のない全国紙は『毎日新聞』以外にありません。これはあまり知られていないことですが、それだけに貴重と言えるでしょう。この紙面データーは、先ず、毎日新聞社内LANの統合データベースに収録されて、6月から日常の新聞製作に活用されます。
★ 創刊以来の全紙面、と申しましたが、正確にいいますと、『東京日々新聞』から2004年までの『大阪日報』および『大阪毎日新聞』の全紙面です。全部で105万コマ。昨年5月から10ヶ月かけて完成しました。デジタル化原本は、DVDに保存されて大阪・東京両本社の情報調査部内に保存されます。いずれ、これを元に各種の出版物が一般に頒布・公開されることでしょう。
★ この編集・制作過程で、新たに発見された興味深いエピソードがあります。今日、私の手元に届いた『毎日新聞社報』から拾い出してみましょう。
◇ 先ず、創刊号の誕生日です。普通、毎日新聞は、「2月21日」とし記した創刊号の日付をもって、その日と紹介しています。しかし、これは、太陰暦で、現在の太陽暦に換算しますと、3月20日。季節感は春のお彼岸に合致します。
◇ 興味深いのは、創刊号は手彫りの木版彫刻でした。アメリカから輸入した鉛活字と活版印刷機による活字出版は第2号から。さらに興味深い事実は、第3号と第4号が同じ日付になっていたそうです。調査の結果、第3号の日数を1日多く印字したものと判明しました。
◇ 戦時中は、用紙難で裏表1枚のタブロイド新聞、それも同一紙面を3社協同題字で発行する時期もありましたが、驚くべきことに、1日に128ページもの分厚い新聞を発行したのは明治時代でした。明治34年(1901)10月4日付けの9000号記念。
紙面内容は、内政・外交、財政・経済、教育・美術など多方面の各界権威が執筆しているそうです。恐らく、日本で最初にして最後、134年におよぶ毎日新聞の歴史の中で最多ページです。
◇ 私事ながら、私の実父が生まれた年です。105年前の話。明治人はケタ違いの壮挙を成し遂げる豪傑揃いだったのですね。我々に、このエネルギーはありません。ほとほと感心します。
◇夕刊が定期的に発行されるようになったのは大正12年(1923)9月18日から。関東大震災直後です。おもしろいことに、この夕刊第1号は19日付けになっています。以来、夕刊は翌日日付発行が続きました。
★ こうした新聞裏話・・・興味深いエピソードは『毎日新聞社史』にもふんだんに紹介されています。また、機会があれば、ご紹介しましょう。
■
[PR]
by zenmz
| 2006-04-18 01:37
| 現代社会論
|
Comments(0)