2006年 10月 03日
【6268】 ベトナム娘たち・・・会うは別れの始まりを想う |
★ 昨夜は、近く帰国することになったベトナム娘たちを我が家に招き、送別会をしました。二十歳を過ぎたばかり、最年長でも25歳というこの娘達は、ベトナムに進出している日本の自動車部品会社の現地職員ですが、製品検査技術の研修生として日本の会社で訓練を受けて来ました。
★ 無事、1年3ヶ月の研修を終えて帰国することになりました。言葉・風習も全く異なる異国の地で、何度か押し寄せたホームシックと闘いながら、初心を貫いた満足感を抱いて向かう故国では、会社の昇進が待ち受けているそうです。正に”故郷に錦を飾る”帰国です。
★ クエちゃん、フックちゃん、ヒェンちゃん、オヮンちゃん、ナムちゃん、ジェンちゃん、フンちゃん、アイちゃん・・・それぞれに、懐かしい思い出があります。実は、この娘達は、私の家の直ぐ近くにある社宅で共同生活しています。しかし、私たち夫婦は、その家が、研修生達の社宅であったことを全く知りませんでした。娘達も長く、工場との間を往復するだけで住民との接触が全くなかったのです。
★ 出会いは、日本に来てから4ヶ月ほど経ってから。秋の紅葉のシーズンたけなわの頃、我が家の回りでしきりに紅葉を撮影している若い女性のグループが目に付きました。この山奥で若い女性を見るのも久しぶりのこと。老妻が出て声をかけました。「お茶でも飲んでいかない? アラ、あなたたち、外国の人? ぜひ、いらっしゃい。一緒にお茶、飲もう」
★ それが始まり。以来、週末のお茶会をしたり、晩餐パーティを楽しんだり、町の催しに共に出かけたり・・・で、随分、仲良く交際しました。一人を除いて、みんなほとんど日本語は出来ません。最初は、基本的な日常会話の勉強も始めたようですが、何しろ毎日、かなりの激務のようで、時間があったら「眠たい」 とうとう言葉はマスターできませんでした。
★ でも、感心したのは、マナーの良さと、優しさ。ちょっとした仕草が実に雅やかで、気配りが出来ています。すっかり感心した老妻などは、この町の人々に会うたびに「昔の日本の女の子を思い出す」などと褒めちぎって来ました。みんな、私たちをオジーチャン、オバーチャンと呼びますが、最初の頃は、オジチャン、オバチャンと呼んでいました。何故、変わったのか?
★ 不思議に思っていましたら、ただ一人、非常に日本語の上手なクエちゃんが「オジチャンは若い人のこと。爺さまは”オジーチャン”と長ーく伸ばすのヨ」と教えたものですから、それから、そうなりました。日本語も妙に正確になると、受け止める側の気持ちもフクザツ。「そんなことは気にしなくてもいいんだよ」と言ってみたところで・・・後の祭りです。
★ この娘達とつきあうようになって、身に付いた風習というものは変わらないものだ、と気づきました。みんな社宅から会社まで、片道3キロを自転車で通っています。私にとっては、毎日、犬と歩いている同じ散歩コースです。時間もちょうど、みんなの帰宅時間なのでよく出会います。いつも気になっているのが、みんなが一様に着けている大きなマスク。
★ 長い間、不審に思っていた疑問を質してみました。意外な返事: 「これ、ベトナムのファッションです」
ベトナムは、どこに行っても非常にほこりっぽく、特に最近はバイク・ブームで埃を巻き上げるので、だれもがマスクを着けるようになった、そうです。そこで始まったのが、マスクのファッション化。みんな思い思いのデザインで楽しんでいるとか。
★ 「でもここは埃なんかない。どうして?」と訊ねると、「やはりベトナムの人ですから」 何か、分かったような、もう一つ分からない、話が行き交いました。こんな若い娘でも、どこへ行っても故郷の風習を引きずるのですね。とても面白いと思いました。日本の若者も随分、世界に飛び出していますが、やはり同じような”引きずりモノ”をこだわっているのでしょうか?
★ みんなホーチミンとその周辺が故郷ですが、ナムちゃんだけはハノイの出身。帰国すると間もなく結婚します。
「ナムちゃん、よく聞きなさい。帰国したら許嫁に日本のお爺ちゃんがこう言ってた、と、お話しなさい。いい家庭を築くには夫婦の間に秘密を持たないこと。そのために一番、大切なことは、稼いだ月給は全部、妻に渡すこと。家で一番の実力者は主婦である。それを忘れないでネ。忘れたら、”ゼニ祟り”があるよ」
★ ”ゼニ祟り”は、昔、私が大学教員をしていた頃の常套句。「ゼミの後、よく学生達を連れて食事に出かけ食事をしながら指導、【分かった? もし従わず「食い逃げしたら”ゼニ祟り”があるゾ】 かなりいい効き目がありました。
★ パーティのメインディッシュは、七面鳥の丸焼き薫製と中国料理火鍋子(ホウコウズ) やはり若者ですね。山盛りに準備した食材はみるみる取り崩されて、キレイになくなりました。
★ 「オジーチャン、オバーチャン、何時、オーチミンに来ますか? 来られる時、決まったら早めに知らせて下さい。みんな集まって、私たちの町をご案内します。私たちの家族にも是非、会って下さい」 みんなうれしいことを口々に言ってくれます。
★ 本当に、是非、行こう。今冬の避寒旅行はベトナムにしよう・・・・私たち夫婦も来年の正月に家族全員集合が終わったら、初めてのベトナム旅行に出かけることにしました。新しい夢を与えてくれたベトナム娘達に感謝。
★ 無事、1年3ヶ月の研修を終えて帰国することになりました。言葉・風習も全く異なる異国の地で、何度か押し寄せたホームシックと闘いながら、初心を貫いた満足感を抱いて向かう故国では、会社の昇進が待ち受けているそうです。正に”故郷に錦を飾る”帰国です。
★ 出会いは、日本に来てから4ヶ月ほど経ってから。秋の紅葉のシーズンたけなわの頃、我が家の回りでしきりに紅葉を撮影している若い女性のグループが目に付きました。この山奥で若い女性を見るのも久しぶりのこと。老妻が出て声をかけました。「お茶でも飲んでいかない? アラ、あなたたち、外国の人? ぜひ、いらっしゃい。一緒にお茶、飲もう」
★ それが始まり。以来、週末のお茶会をしたり、晩餐パーティを楽しんだり、町の催しに共に出かけたり・・・で、随分、仲良く交際しました。一人を除いて、みんなほとんど日本語は出来ません。最初は、基本的な日常会話の勉強も始めたようですが、何しろ毎日、かなりの激務のようで、時間があったら「眠たい」 とうとう言葉はマスターできませんでした。
★ でも、感心したのは、マナーの良さと、優しさ。ちょっとした仕草が実に雅やかで、気配りが出来ています。すっかり感心した老妻などは、この町の人々に会うたびに「昔の日本の女の子を思い出す」などと褒めちぎって来ました。みんな、私たちをオジーチャン、オバーチャンと呼びますが、最初の頃は、オジチャン、オバチャンと呼んでいました。何故、変わったのか?
★ 不思議に思っていましたら、ただ一人、非常に日本語の上手なクエちゃんが「オジチャンは若い人のこと。爺さまは”オジーチャン”と長ーく伸ばすのヨ」と教えたものですから、それから、そうなりました。日本語も妙に正確になると、受け止める側の気持ちもフクザツ。「そんなことは気にしなくてもいいんだよ」と言ってみたところで・・・後の祭りです。
★ この娘達とつきあうようになって、身に付いた風習というものは変わらないものだ、と気づきました。みんな社宅から会社まで、片道3キロを自転車で通っています。私にとっては、毎日、犬と歩いている同じ散歩コースです。時間もちょうど、みんなの帰宅時間なのでよく出会います。いつも気になっているのが、みんなが一様に着けている大きなマスク。
★ 長い間、不審に思っていた疑問を質してみました。意外な返事: 「これ、ベトナムのファッションです」
ベトナムは、どこに行っても非常にほこりっぽく、特に最近はバイク・ブームで埃を巻き上げるので、だれもがマスクを着けるようになった、そうです。そこで始まったのが、マスクのファッション化。みんな思い思いのデザインで楽しんでいるとか。
★ 「でもここは埃なんかない。どうして?」と訊ねると、「やはりベトナムの人ですから」 何か、分かったような、もう一つ分からない、話が行き交いました。こんな若い娘でも、どこへ行っても故郷の風習を引きずるのですね。とても面白いと思いました。日本の若者も随分、世界に飛び出していますが、やはり同じような”引きずりモノ”をこだわっているのでしょうか?
★ みんなホーチミンとその周辺が故郷ですが、ナムちゃんだけはハノイの出身。帰国すると間もなく結婚します。
「ナムちゃん、よく聞きなさい。帰国したら許嫁に日本のお爺ちゃんがこう言ってた、と、お話しなさい。いい家庭を築くには夫婦の間に秘密を持たないこと。そのために一番、大切なことは、稼いだ月給は全部、妻に渡すこと。家で一番の実力者は主婦である。それを忘れないでネ。忘れたら、”ゼニ祟り”があるよ」
★ ”ゼニ祟り”は、昔、私が大学教員をしていた頃の常套句。「ゼミの後、よく学生達を連れて食事に出かけ食事をしながら指導、【分かった? もし従わず「食い逃げしたら”ゼニ祟り”があるゾ】 かなりいい効き目がありました。
★ パーティのメインディッシュは、七面鳥の丸焼き薫製と中国料理火鍋子(ホウコウズ) やはり若者ですね。山盛りに準備した食材はみるみる取り崩されて、キレイになくなりました。
★ 「オジーチャン、オバーチャン、何時、オーチミンに来ますか? 来られる時、決まったら早めに知らせて下さい。みんな集まって、私たちの町をご案内します。私たちの家族にも是非、会って下さい」 みんなうれしいことを口々に言ってくれます。
★ 本当に、是非、行こう。今冬の避寒旅行はベトナムにしよう・・・・私たち夫婦も来年の正月に家族全員集合が終わったら、初めてのベトナム旅行に出かけることにしました。新しい夢を与えてくれたベトナム娘達に感謝。
by zenmz
| 2006-10-03 09:27
| ベトナムの”孫娘”