2006年 10月 11日
【6276】 今、”夫婦”の不思議を想う |
★ オジイちゃんとオバアちゃんの馴れ初めは? 5人の孫も一番、下が17歳ともなると、よくそれを口にします。今年は結婚50年、それに、今日は、老妻の誕生日です。これまで、我が3人の子どもにも語リ明かしたことはありません。ちょうどいい機会。子・孫に語って聞かせることにしましょう。皆さんにも是非、聞いて頂き、コトの始まりは? 最後の審判をお願いいたします。
★ 昭和29(1954)年の春、卒業前に、既に就職が決まっていた新聞社でアルバイトをすることになりました。京都の下宿から毎日、新聞社のある大阪に通うようになった、ある日、同じ下宿の友人が「高校時代の友達が大阪の製薬会社で働いている。今日、会う約束だったが行けなくなった。大阪で電話してもらえまいか」と言うのです。今と異なり一般家庭には電話などなく、企業の市外電話なども口頭で相手番号を告げ、交換手が手作業で接続するやり方、なかなか繋がらないのが普通の時代でした。
★ 伝言を頼まれた相手の名前は「坂本功」 てっきり男とばかり思っていました。が、電話口に出てきたのは女の声。
私の戸惑いが気配で通じたのでしょう。「男のような名前ですが・・・私です」
★ その時は、それっきりでした。そしてまる1年が経過。再び、
「坂本功です。その節はどうも・・通りかかりましたので」
と、新聞社の受付窓口に現れました。
「突然ですみませんが新聞社を見学させて下さい」
みると友人を連れて来ています。
★ これが始まり。その後、「通りかかりましたので・・・」が続きました。
”坂本功”さんは大阪市内道修町の製薬会社に勤めていました。私の新聞社は堂島にあって、ちょっと回り道になりますが、徒歩で大阪駅に向かう途中に位置します。会社の退社時間がずれていることもあって、いつの間にか、新聞社の真ん前にあった「喫茶オリオンズ」でコーヒーを飲んで一休みするようになりました。
★ 「喫茶オリオンズ」は、ちょっとした名所になったところです。作家・山崎豊子さんの出世作に「ぼんち」という小説があります。その主人公のモデルがここのマスターでした。毎日新聞がオーナーだった「大毎オリオンズ」という球団がありましたが、その私設応援団長でもあり、ちょっとした名物男。今は息子さんの代になっていますが、「喫茶オリオンズ」は毎日新聞本社一階に移って営業しており、毎日新聞と一心同体の存在になっています。
★ ともかく”坂本功”さんは、会社の退け時、必ず、「喫茶オリオンズ」でご一服。奥まったコーナーとお席も定まっておりました。そして”オッチャン”のあだ名で呼ばれたマスターと四方山話。仕事を終えると、私も「コーヒーで一休み」と足を運ぶようになった。
★ 振り返ってみると、まあ、何と、続いたものですね。
いつの間にか”オッチャン”が「ゼニモトはん、あの娘(こ) これか?」と、小指を挙げて見せるようになりました。
「いや、チャウ。ただのともだちヤ」 本当に、長らく”小指”の意識はなかったです。
★ 1年ほど経った、ある日のこと。妙に真面目な話をしたことがあります。
「大学で何の勉強、しやはったン?」と訊ねられ、「政治哲学」 そして口を継いで出てきたのが、「例えばプラトンの『国家』論やね・・・」 まあ、私も若かったですね。当時25歳。未だ学生気分が抜けませんでした。ベレー帽の文学少女、”坂本功”さんは鼻先でフン!とあしらっています。
★ 「ところで・・・何で人間、ヘソがあるのか? それ分かる? プラトン哲学はそれを解き明かしている」
「つまりヤネ。人間はその昔、原初の時代には、ちょうど男と女を背中合わせにした結合体で、顔は二つ、手足は四つずつ、球体のように移動して迅速に動き回った。名前は「アンドロギュノス」 頭脳も優れ、神々に闘いを挑むほどになった」
★ 「そこで、ゼウス神は罰として、その身体を真っ二つにし、醜い切り口を結んで”ヘソ”にした。首をそちらに回して、何時でも、それを眺めて反省せよ、と教えた。それが”ヘソ”の始まり。人間は驕り高ぶると神罰が下る。その戒めを思い起こす為に”ヘソ”がある。まあ、プラトン哲学で解明すると、そうなるノヤ」
★ ”坂本功”さん、急に目がランランとしてきましたね。私の熱弁も止まらない。
「”アンドロギュノス”は、実は3種いた。男と女の結合体、男同志の結合体、女同志の結合体。”男女結合体”が一番、多かったので人間は普通、異性に憧れる。これが普通。だけど、世の中、同性愛者というのがいる。それはもともと男同士、女同士の”アンドロギュノス”だったので、その「片割れ」を慕うようになった」
★ 「まあ、ここまではゼウス神の思いとおりになった。人間はおとなしくなったけど、お互い”片割れ”を探し求め、出会えばもう離れない。仕事もせず、神々への貢ぎ物もなくなった。これじゃ神も干上がると、オリンポスの神殿で合議した神々は、夜と昼を分け、昼は労働せよ、夜は愛を尽くせ、と人間に命じた。まあ、それで治まり、現在の人間の生活になった、というワケ」
★ タネを明かしますと、この物語は、プラトンの『饗宴』の中で喜劇詩人・アリストファネスが「愛」の始まりを解き明かした名演説です。『饗宴』の副題は「愛について」 余談ですが、私は、大学教員をしておりました折、学生達に是非、若いウチに一度は読んでおきなさい、と、薦めてきました。物語は、この後、ソクラテスが登場し、不完全な人間の理想状態としての「全人的存在」 心身合一のエネルギーとして働く「愛」(エロス)を解明し、深奥の哲学を展開します。これが2400年も前に唱えられたとは! 本当に感嘆の他ありません。
★ 閑話休題。
本論を前に進めましょう。
「西欧の人は、配偶者のことを”ベターハーフ”と言うでしょう。哲学的根拠は”アンドロギュノス” 信仰的根拠はキリスト教聖書。神は眠っているアダムの脇腹をとってイブを造った。”よりよき半身”も深い意味がこもっているんだね。その点日本は違う。古事記には、神も人も”生りなり生りて生った” まあ、哲学って、そんなこと、考える学問」
★ 「面白い」
坂本功さんは、直ぐ、その足でJR大阪駅前にあった大書店「旭屋」で、文庫本『饗宴』を買い求めて帰ったそうです。
そして、間もなく、一通の手紙が届きました。
「原初、私たちは”アンドロギュノス”だったのかも。本を読んでそう思いました」
★ 当時、私の月給は、1万3600円。10日と27日の2回に分割して払われており、10日支給額の3600円は、そのまま「喫茶オリオンズ」の支払いに回っていました。コーヒーは高い嗜好品でした。二人のコーヒー代100円は、夫婦二人の1日分食費に相当する額でした。
「コーヒー代で世帯もてるかも。そうしようか。助かるデ」
★ 今も忘れられない、その時の受け答え・・・アノ「殺し文句」
「うん、アンタにオイシイお漬け物ン、食べさせてあげたい!」
若気の至り、これでコロリ。まあ、この公約だけは、老妻になった今も守ってますケド・・・。
★ そして、間もなく、私たちは、結婚しました。昭和31(1956)年1月18日 のことでした。そして50年が経ちました。今も決着つかないのが【コトの”始まり”】論議。 そもそも”なれそめ”を仕掛けたのはどちらか? 真実は? 半世紀後の”述懐川柳”の通りです。
★ この後の続きは:::: 「結婚50年」
★ 昭和29(1954)年の春、卒業前に、既に就職が決まっていた新聞社でアルバイトをすることになりました。京都の下宿から毎日、新聞社のある大阪に通うようになった、ある日、同じ下宿の友人が「高校時代の友達が大阪の製薬会社で働いている。今日、会う約束だったが行けなくなった。大阪で電話してもらえまいか」と言うのです。今と異なり一般家庭には電話などなく、企業の市外電話なども口頭で相手番号を告げ、交換手が手作業で接続するやり方、なかなか繋がらないのが普通の時代でした。
★ 伝言を頼まれた相手の名前は「坂本功」 てっきり男とばかり思っていました。が、電話口に出てきたのは女の声。
私の戸惑いが気配で通じたのでしょう。「男のような名前ですが・・・私です」
★ その時は、それっきりでした。そしてまる1年が経過。再び、
「坂本功です。その節はどうも・・通りかかりましたので」
と、新聞社の受付窓口に現れました。
「突然ですみませんが新聞社を見学させて下さい」
みると友人を連れて来ています。
★ これが始まり。その後、「通りかかりましたので・・・」が続きました。
”坂本功”さんは大阪市内道修町の製薬会社に勤めていました。私の新聞社は堂島にあって、ちょっと回り道になりますが、徒歩で大阪駅に向かう途中に位置します。会社の退社時間がずれていることもあって、いつの間にか、新聞社の真ん前にあった「喫茶オリオンズ」でコーヒーを飲んで一休みするようになりました。
★ 「喫茶オリオンズ」は、ちょっとした名所になったところです。作家・山崎豊子さんの出世作に「ぼんち」という小説があります。その主人公のモデルがここのマスターでした。毎日新聞がオーナーだった「大毎オリオンズ」という球団がありましたが、その私設応援団長でもあり、ちょっとした名物男。今は息子さんの代になっていますが、「喫茶オリオンズ」は毎日新聞本社一階に移って営業しており、毎日新聞と一心同体の存在になっています。
★ ともかく”坂本功”さんは、会社の退け時、必ず、「喫茶オリオンズ」でご一服。奥まったコーナーとお席も定まっておりました。そして”オッチャン”のあだ名で呼ばれたマスターと四方山話。仕事を終えると、私も「コーヒーで一休み」と足を運ぶようになった。
★ 振り返ってみると、まあ、何と、続いたものですね。
いつの間にか”オッチャン”が「ゼニモトはん、あの娘(こ) これか?」と、小指を挙げて見せるようになりました。
「いや、チャウ。ただのともだちヤ」 本当に、長らく”小指”の意識はなかったです。
★ 1年ほど経った、ある日のこと。妙に真面目な話をしたことがあります。
「大学で何の勉強、しやはったン?」と訊ねられ、「政治哲学」 そして口を継いで出てきたのが、「例えばプラトンの『国家』論やね・・・」 まあ、私も若かったですね。当時25歳。未だ学生気分が抜けませんでした。ベレー帽の文学少女、”坂本功”さんは鼻先でフン!とあしらっています。
★ 「ところで・・・何で人間、ヘソがあるのか? それ分かる? プラトン哲学はそれを解き明かしている」
「つまりヤネ。人間はその昔、原初の時代には、ちょうど男と女を背中合わせにした結合体で、顔は二つ、手足は四つずつ、球体のように移動して迅速に動き回った。名前は「アンドロギュノス」 頭脳も優れ、神々に闘いを挑むほどになった」
★ 「そこで、ゼウス神は罰として、その身体を真っ二つにし、醜い切り口を結んで”ヘソ”にした。首をそちらに回して、何時でも、それを眺めて反省せよ、と教えた。それが”ヘソ”の始まり。人間は驕り高ぶると神罰が下る。その戒めを思い起こす為に”ヘソ”がある。まあ、プラトン哲学で解明すると、そうなるノヤ」
★ ”坂本功”さん、急に目がランランとしてきましたね。私の熱弁も止まらない。
「”アンドロギュノス”は、実は3種いた。男と女の結合体、男同志の結合体、女同志の結合体。”男女結合体”が一番、多かったので人間は普通、異性に憧れる。これが普通。だけど、世の中、同性愛者というのがいる。それはもともと男同士、女同士の”アンドロギュノス”だったので、その「片割れ」を慕うようになった」
★ 「まあ、ここまではゼウス神の思いとおりになった。人間はおとなしくなったけど、お互い”片割れ”を探し求め、出会えばもう離れない。仕事もせず、神々への貢ぎ物もなくなった。これじゃ神も干上がると、オリンポスの神殿で合議した神々は、夜と昼を分け、昼は労働せよ、夜は愛を尽くせ、と人間に命じた。まあ、それで治まり、現在の人間の生活になった、というワケ」
★ タネを明かしますと、この物語は、プラトンの『饗宴』の中で喜劇詩人・アリストファネスが「愛」の始まりを解き明かした名演説です。『饗宴』の副題は「愛について」 余談ですが、私は、大学教員をしておりました折、学生達に是非、若いウチに一度は読んでおきなさい、と、薦めてきました。物語は、この後、ソクラテスが登場し、不完全な人間の理想状態としての「全人的存在」 心身合一のエネルギーとして働く「愛」(エロス)を解明し、深奥の哲学を展開します。これが2400年も前に唱えられたとは! 本当に感嘆の他ありません。
★ 閑話休題。
本論を前に進めましょう。
「西欧の人は、配偶者のことを”ベターハーフ”と言うでしょう。哲学的根拠は”アンドロギュノス” 信仰的根拠はキリスト教聖書。神は眠っているアダムの脇腹をとってイブを造った。”よりよき半身”も深い意味がこもっているんだね。その点日本は違う。古事記には、神も人も”生りなり生りて生った” まあ、哲学って、そんなこと、考える学問」
★ 「面白い」
坂本功さんは、直ぐ、その足でJR大阪駅前にあった大書店「旭屋」で、文庫本『饗宴』を買い求めて帰ったそうです。
そして、間もなく、一通の手紙が届きました。
「原初、私たちは”アンドロギュノス”だったのかも。本を読んでそう思いました」
★ 当時、私の月給は、1万3600円。10日と27日の2回に分割して払われており、10日支給額の3600円は、そのまま「喫茶オリオンズ」の支払いに回っていました。コーヒーは高い嗜好品でした。二人のコーヒー代100円は、夫婦二人の1日分食費に相当する額でした。
「コーヒー代で世帯もてるかも。そうしようか。助かるデ」
★ 今も忘れられない、その時の受け答え・・・アノ「殺し文句」
「うん、アンタにオイシイお漬け物ン、食べさせてあげたい!」
若気の至り、これでコロリ。まあ、この公約だけは、老妻になった今も守ってますケド・・・。
★ そして、間もなく、私たちは、結婚しました。昭和31(1956)年1月18日 のことでした。そして50年が経ちました。今も決着つかないのが【コトの”始まり”】論議。 そもそも”なれそめ”を仕掛けたのはどちらか? 真実は? 半世紀後の”述懐川柳”の通りです。
来てやった、貰ォーたった、で、50年。延々と続いた議論の果て、我ら夫婦には、判別出来ません。 正直なハナシ、成り行き任せの「生り生りて成った」のが実感ですね。
★ この後の続きは:::: 「結婚50年」
by zenmz
| 2006-10-11 11:46
| 現代社会論