2006年 11月 11日
【6306】 秋の夜長に「空」を想う |
★ 夕べの訪れが早くなりました。晩秋は物思いを誘います。朱一色に染まったかに見える我が庭の紅葉も、近寄ってみると、一葉一葉、彩りが違います。そろそろ紅葉も落葉が始まっています。落ち葉の下にはうずくまったままで動かなくなったカマキリがいました。かすかに動く手の鎌が未だ生あることを示しています。多分、一帯に数多の命が静かに終焉の時を迎えているのでしょう。厳粛な涅槃を思います。
★ それを見ながら日本語50音に入魂された言霊を思いました。
★ 日本語のアルファベット。その字母すべてを並べると美しい詩になります。
口ずさむのに易しい韻を含んだ七五調四句の歌。漢字を配当すれば哲学的です。
★ その深い意味はカッコでくるんだ四字熟語で説明されています。
《諸行無常。万物流転・・・存在するもの何一つ、同一性を寸時とも保持できぬ》と始まるこの言葉は、
「これは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」
と続き、
「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」
と結びます。
★ いろは歌に、このように仏教の根本義を入魂したのは弘法大師空海で、前半偈(げ)を流転門、後半偈(げ)は還滅門と称して、その後、ずっと日本人の精神的支柱となってきました。私たち昭和ヒトケタ族には子どもの頃から慣れ親しんできた「いろは歌」で、時折々に、祖父がこの歌の意味を仏教の教えと重ね合わせて語ってくれたものでした。
★ 今の若い人は、ほとんど、民族の言葉に込められた魂である「いろは歌」を知りません。それを嘆き、以前にも随想「詠唱して聞かせよう、美しいこの詩」を綴ったこともありました。若い人に是非、日本語を構成している一音一音、五十音すべてに魂が宿っていることを知って欲しい。言葉を弄ぶことなく、大切にして欲しい、その思いがつのります。
幼い子どもを持つ若いお母さんたちには是非、一度、学んでいただき、子供達と一緒に大声で詠唱していただきたいと願います。
★ さて、秋の夜長。時を過ごすに相応しいのはやはり読書ですね。
「買い物ついでに買っておいたよ」 老妻が発売されたばかりの月刊雑誌「文藝春秋」12月号を渡してくれました。表紙をみると、今月のお薦め特集は、「子供を殺すのは教師か親か」と「般若心経ーいのちの対話」の二つ。 後者の記事は今、大売り出し中の柳澤桂子さんと玄侑宗久さんの対話扁と知って、早速、時を忘れて読みました。
★ 難病で歩行も自由でない生命科学者・柳澤佳子さんは、20年ちかく『般若心経』に親しみ、自らの悟りの境地を綴った『いのちの日記』を公刊しておられます。36年間に亘る絶望の淵で、いのちの意味を究めつづけてきた中で『般若心経』に出会い、やっと見出しえた[魂の救済]の記録は多くの人々に感動と勇気を与えました。別の著書『生きて死ぬ知恵』は、『般若心経』の現代詩訳と絶賛されているものです。
★ 一方、玄侑宗久さんは、先月、『現代語訳 般若心経』を上梓されました。著名な作家で禅寺の住職。科学者と宗教家が別々に仏教の奥義「空」を究めた著書を出版され、お互いに往復書簡の形式で書評しあう。実に素晴らしい試みです。
★ 私は、いわゆる評論家は好みません。書評のほとんどに目も通さないのは評論嫌いだからです。冷徹な目で他人の作品を点検し、己が高見でいろんな角度から欠点を論う態度に辟易(へきえき)します。何よりも、自らの実作は皆無、他人の作品だけをいじくり回す。評論の内容を自ら実作で示せ、と、何時も反発を覚えます。
★ しかし、この”感動の往復書簡”は、素晴らしい書評本来のあり方、だと絶賛したい気がします。同じテーマ「般若心経に生と死の哲学を究める」を追究し、その深い考究の果実を出版物で公刊した著者同士が、それぞれの作品を評価しあう。実に有益、かつ楽しいです。
★ 一読、ビックリ。言葉は丁寧ですが、魂がぶつかり合っています。
般若心経と言えば、僧侶・在家を問わず「読誦経典」とされるお経ですね。
いきなり玄侑さんは
「柳澤さんは20年もこのお経に親しんでこられたそうですがお唱えするという行為はなさっていたのでしょうか」
と鋭い切り込みで始めます。
★ 柳澤さんの返信は先ず、
「私の家は34代目の神主。仏教のことは何一つ、お線香のあげ方も知りません」
と予想外の自己紹介に始まり、
「般若心経は”読む”だけ。そのうちお釈迦様は原子論でお考えになっていると確信するようになりました」
と、科学者らしく答えています。
★ 柳澤さんは、その結果、自分が解釈した般若心経を次のように訳した、と実作を示します。
お聞きなさい。
あなたも宇宙の中で粒子で出来ています。
宇宙の中のほかの粒子と一つづきです。
ですから宇宙も『空』です。
あなたという実体はないのです。
あなたも宇宙の一つです。
★ お二人の往復書簡は、どんどん深まっていきます。その間にあって、私も聞き役として参加し、大いに啓発されている自分を実感します。鼎談(ていだん)書評に立ち会わせていただいているかのような錯覚さえ覚えます。
これ以上、記事の内容には立ち入りませんが、本当に素晴らしい時を過ごしました。お二人の往復書簡は、来月号に続くそうです。来月が楽しみです。それまでお二人の新著を熟読しましょう。
★ 大般若経600巻を僅か266文字に凝縮し、大乗仏教の心髄を伝えている『般若心経』 「読誦経典」が伝統的な作法ですが、心静かに一度、写経をしてみたい気分にもなっています。
★ 今日は、終焉を迎えるカマキリの姿に『涅槃経』を思い、深まる晩秋の夜更けに『般若心経』 を想う。私も我が齢を慈しむようになりました。
★ それを見ながら日本語50音に入魂された言霊を思いました。
いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせす
★ 日本語のアルファベット。その字母すべてを並べると美しい詩になります。
口ずさむのに易しい韻を含んだ七五調四句の歌。漢字を配当すれば哲学的です。
色は匂へど 散りぬるを (諸行無常)
我が世誰ぞ 常ならむ (是生滅法)
有為の奥山 今日越えて (生滅滅已)
浅き夢みじ 酔ひもせず (寂滅爲樂)
★ その深い意味はカッコでくるんだ四字熟語で説明されています。
《諸行無常。万物流転・・・存在するもの何一つ、同一性を寸時とも保持できぬ》と始まるこの言葉は、
「これは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」
と続き、
「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」
と結びます。
★ いろは歌に、このように仏教の根本義を入魂したのは弘法大師空海で、前半偈(げ)を流転門、後半偈(げ)は還滅門と称して、その後、ずっと日本人の精神的支柱となってきました。私たち昭和ヒトケタ族には子どもの頃から慣れ親しんできた「いろは歌」で、時折々に、祖父がこの歌の意味を仏教の教えと重ね合わせて語ってくれたものでした。
★ 今の若い人は、ほとんど、民族の言葉に込められた魂である「いろは歌」を知りません。それを嘆き、以前にも随想「詠唱して聞かせよう、美しいこの詩」を綴ったこともありました。若い人に是非、日本語を構成している一音一音、五十音すべてに魂が宿っていることを知って欲しい。言葉を弄ぶことなく、大切にして欲しい、その思いがつのります。
幼い子どもを持つ若いお母さんたちには是非、一度、学んでいただき、子供達と一緒に大声で詠唱していただきたいと願います。
★ さて、秋の夜長。時を過ごすに相応しいのはやはり読書ですね。
「買い物ついでに買っておいたよ」 老妻が発売されたばかりの月刊雑誌「文藝春秋」12月号を渡してくれました。表紙をみると、今月のお薦め特集は、「子供を殺すのは教師か親か」と「般若心経ーいのちの対話」の二つ。 後者の記事は今、大売り出し中の柳澤桂子さんと玄侑宗久さんの対話扁と知って、早速、時を忘れて読みました。
★ 難病で歩行も自由でない生命科学者・柳澤佳子さんは、20年ちかく『般若心経』に親しみ、自らの悟りの境地を綴った『いのちの日記』を公刊しておられます。36年間に亘る絶望の淵で、いのちの意味を究めつづけてきた中で『般若心経』に出会い、やっと見出しえた[魂の救済]の記録は多くの人々に感動と勇気を与えました。別の著書『生きて死ぬ知恵』は、『般若心経』の現代詩訳と絶賛されているものです。
★ 一方、玄侑宗久さんは、先月、『現代語訳 般若心経』を上梓されました。著名な作家で禅寺の住職。科学者と宗教家が別々に仏教の奥義「空」を究めた著書を出版され、お互いに往復書簡の形式で書評しあう。実に素晴らしい試みです。
★ 私は、いわゆる評論家は好みません。書評のほとんどに目も通さないのは評論嫌いだからです。冷徹な目で他人の作品を点検し、己が高見でいろんな角度から欠点を論う態度に辟易(へきえき)します。何よりも、自らの実作は皆無、他人の作品だけをいじくり回す。評論の内容を自ら実作で示せ、と、何時も反発を覚えます。
★ しかし、この”感動の往復書簡”は、素晴らしい書評本来のあり方、だと絶賛したい気がします。同じテーマ「般若心経に生と死の哲学を究める」を追究し、その深い考究の果実を出版物で公刊した著者同士が、それぞれの作品を評価しあう。実に有益、かつ楽しいです。
★ 一読、ビックリ。言葉は丁寧ですが、魂がぶつかり合っています。
般若心経と言えば、僧侶・在家を問わず「読誦経典」とされるお経ですね。
いきなり玄侑さんは
「柳澤さんは20年もこのお経に親しんでこられたそうですがお唱えするという行為はなさっていたのでしょうか」
と鋭い切り込みで始めます。
★ 柳澤さんの返信は先ず、
「私の家は34代目の神主。仏教のことは何一つ、お線香のあげ方も知りません」
と予想外の自己紹介に始まり、
「般若心経は”読む”だけ。そのうちお釈迦様は原子論でお考えになっていると確信するようになりました」
と、科学者らしく答えています。
★ 柳澤さんは、その結果、自分が解釈した般若心経を次のように訳した、と実作を示します。
お聞きなさい。
あなたも宇宙の中で粒子で出来ています。
宇宙の中のほかの粒子と一つづきです。
ですから宇宙も『空』です。
あなたという実体はないのです。
あなたも宇宙の一つです。
★ お二人の往復書簡は、どんどん深まっていきます。その間にあって、私も聞き役として参加し、大いに啓発されている自分を実感します。鼎談(ていだん)書評に立ち会わせていただいているかのような錯覚さえ覚えます。
これ以上、記事の内容には立ち入りませんが、本当に素晴らしい時を過ごしました。お二人の往復書簡は、来月号に続くそうです。来月が楽しみです。それまでお二人の新著を熟読しましょう。
★ 大般若経600巻を僅か266文字に凝縮し、大乗仏教の心髄を伝えている『般若心経』 「読誦経典」が伝統的な作法ですが、心静かに一度、写経をしてみたい気分にもなっています。
★ 今日は、終焉を迎えるカマキリの姿に『涅槃経』を思い、深まる晩秋の夜更けに『般若心経』 を想う。私も我が齢を慈しむようになりました。
by zenmz
| 2006-11-11 10:52
| 言霊