2007年 01月 16日
【7034】 518文字が描いた世界 |
★ 一撃を受けたような大きなショックを感じた後、深い感動に包まれました。文化庁が発表した「日本の歌百選」のことです。2,3日前に新聞各紙も「絞りきれず101曲に、SMAPなども」などと見出しを付けて報道していました。ショックを受けたのは、同時に公募された「応募曲にまつわるエピソード募集」で大賞に輝いた東京都目黒区の40歳代の女性のエッセー。久しぶりに魅惑される名文に出会った感動を噛みしめています。
★ 著作権の関係もありますので、ここには転載を遠慮します。ご関心のある方は、ホームページ「親子でうたいつごう日本の歌百選」に発表されている東京都目黒区の平松れい子さんのエッセー『浜辺の歌』 をご覧下さい。
★ 小さいとき、両親から買ってもらったピアノをめぐる親子の思い出を淡々と綴った、僅か518文字の短文ですが、私にとっては、最近、久しぶりに出会った珠玉の一文、目が醒める思いのするエッセーでした。日常語だけの518文字。それでこれだけ深い内容を織り込む。なかなか出来ることではありません。何度も読み返しては感心しています。
★ もう50年以上もの昔、学校をでて新米記者になった時、指導のデスクから厳しく躾けられたのは、
「どんな記事も50行に収めろ。必要なことは5W1H.。それをすべて盛り込んでスリムな文章に・・・」
★ つまり、言われていることは、こういうことです。
新聞記事というものは、「誰が」「何時」「何処で」「何を」「何故」(5W)「如何に」(1H)したのか?を書く。制限文字は750字。最も長くてもそれを限度とする。それを心がけよ、
というのです。当時は新聞活字が細かく、1行15文字でした。だから「50行に収めろ」
★ この文章論には学問的な根拠はありません。ただ新聞社が長年、新聞作りを通じて身につけた経験則のようなものです。今は、どうか知りませんが、50年前には、新聞記事は「結婚生活10年、子育て中の高卒35歳主婦」が理解し、共感する文体を錬ろ、と言われたものです。
★ だから私は、自分の書いた記事を常に結婚間もない妻に先ず読んでもらってアドバイスを得、何度も書き直して出稿したものでした。しかし、その後、自分自身がキャップと称せられる「兵隊頭」になり、やがてデスクと言う取材指揮を執る身になって、”750字の重み”をヒシと感じるようになりました。
★ 新聞作りで、比較的楽なのは「発生もの」と言われる事件や議会、会議など決まりもの日程の動きを追うことです。悩むのは「発生もの」が全くなく、出先記者から記事が送られて来ない時。締め切り時間になると、明日の新聞をどう作るか? 担当デスクは胃が痛むほど悩み抜きます。そんな時、「1本頼む」 スィっと、750字原稿を出してくれる同僚・部下を持っていると、随分、助かります。
★ 750字原稿は、3段、4段どちらにでも見出しを付けやすく、レイアウト効果も抜群。ヒマダネと称せられる記事などは写真までつけてくれるので、もう安心。明日の新聞は出来上がりです。まあ、そう度々、出来る”誤魔化し”ではありませんが、時には、そういう裏芸も必要になります。
★ 出す側では内心、忸怩(じくじ)たる思いもあるのですが、面白いことに、こういう記事が読者にはよく受けます。急に投書が増え、お褒めをいただくのがこうした「ほんわか暖かい」記事である場合が多いです。
★ 平松れい子さんのエッセー『浜辺の歌』 を拝見して、もう何十年も前の現役時代の思い出が甦って来るのも、この短文エッセーが、自分の若い頃に徹底的に鍛えられた記事修行の経験則に則っていることを思うからでしょう。”750字”経験則の効用は、朝日の「天声人語」 毎日の「余録」 読売の「編集手帳」をご覧になればおわかりになりましょう。多少違いはありますが大体700字前後。一読、スーッとアタマに入る。読み返すことは先ず、ありませんね。達意の文章に適量なのです。
★ 一読、スーッとアタマに入る。そして描き出される世界の大きさと広がり。名文は必ず、この二つを同時に満たします。平松れい子さんの518文字エッセー『浜辺の歌』が如何に優れた名文であることか。私は今、飽きることなく、繰り返して拝見し、深い感動を何度も味わっています。本当に、このような文章を書きたいものですね。
★ 著作権の関係もありますので、ここには転載を遠慮します。ご関心のある方は、ホームページ「親子でうたいつごう日本の歌百選」に発表されている東京都目黒区の平松れい子さんのエッセー『浜辺の歌』 をご覧下さい。
★ 小さいとき、両親から買ってもらったピアノをめぐる親子の思い出を淡々と綴った、僅か518文字の短文ですが、私にとっては、最近、久しぶりに出会った珠玉の一文、目が醒める思いのするエッセーでした。日常語だけの518文字。それでこれだけ深い内容を織り込む。なかなか出来ることではありません。何度も読み返しては感心しています。
★ もう50年以上もの昔、学校をでて新米記者になった時、指導のデスクから厳しく躾けられたのは、
「どんな記事も50行に収めろ。必要なことは5W1H.。それをすべて盛り込んでスリムな文章に・・・」
★ つまり、言われていることは、こういうことです。
新聞記事というものは、「誰が」「何時」「何処で」「何を」「何故」(5W)「如何に」(1H)したのか?を書く。制限文字は750字。最も長くてもそれを限度とする。それを心がけよ、
というのです。当時は新聞活字が細かく、1行15文字でした。だから「50行に収めろ」
★ この文章論には学問的な根拠はありません。ただ新聞社が長年、新聞作りを通じて身につけた経験則のようなものです。今は、どうか知りませんが、50年前には、新聞記事は「結婚生活10年、子育て中の高卒35歳主婦」が理解し、共感する文体を錬ろ、と言われたものです。
★ だから私は、自分の書いた記事を常に結婚間もない妻に先ず読んでもらってアドバイスを得、何度も書き直して出稿したものでした。しかし、その後、自分自身がキャップと称せられる「兵隊頭」になり、やがてデスクと言う取材指揮を執る身になって、”750字の重み”をヒシと感じるようになりました。
★ 新聞作りで、比較的楽なのは「発生もの」と言われる事件や議会、会議など決まりもの日程の動きを追うことです。悩むのは「発生もの」が全くなく、出先記者から記事が送られて来ない時。締め切り時間になると、明日の新聞をどう作るか? 担当デスクは胃が痛むほど悩み抜きます。そんな時、「1本頼む」 スィっと、750字原稿を出してくれる同僚・部下を持っていると、随分、助かります。
★ 750字原稿は、3段、4段どちらにでも見出しを付けやすく、レイアウト効果も抜群。ヒマダネと称せられる記事などは写真までつけてくれるので、もう安心。明日の新聞は出来上がりです。まあ、そう度々、出来る”誤魔化し”ではありませんが、時には、そういう裏芸も必要になります。
★ 出す側では内心、忸怩(じくじ)たる思いもあるのですが、面白いことに、こういう記事が読者にはよく受けます。急に投書が増え、お褒めをいただくのがこうした「ほんわか暖かい」記事である場合が多いです。
★ 平松れい子さんのエッセー『浜辺の歌』 を拝見して、もう何十年も前の現役時代の思い出が甦って来るのも、この短文エッセーが、自分の若い頃に徹底的に鍛えられた記事修行の経験則に則っていることを思うからでしょう。”750字”経験則の効用は、朝日の「天声人語」 毎日の「余録」 読売の「編集手帳」をご覧になればおわかりになりましょう。多少違いはありますが大体700字前後。一読、スーッとアタマに入る。読み返すことは先ず、ありませんね。達意の文章に適量なのです。
★ 一読、スーッとアタマに入る。そして描き出される世界の大きさと広がり。名文は必ず、この二つを同時に満たします。平松れい子さんの518文字エッセー『浜辺の歌』が如何に優れた名文であることか。私は今、飽きることなく、繰り返して拝見し、深い感動を何度も味わっています。本当に、このような文章を書きたいものですね。
by zenmz
| 2007-01-16 15:11
| 言霊