2007年 06月 04日
【7224】 本当ですか? 田舎暮らしの”快適生活” |
★ マスコミは、今、「団塊世代が一斉に定年を迎え、大量の老後生活が始まる」と、それが引き起こす”2007年問題”を、いろんな角度から取り上げています。まあ、産業社会に及ぼす影響は確かに大きいでしょう。国家、社会の一大事。それは、それでニュースでしょう。
★ だが、一人一人の定年者の私的生活に関わる「第二の人生、どう生きる」など、本当に要らぬお世話ですね。いろいろと教訓じみたことを若い「人生プランナー」を自称する人たちがしたり顔で”提案”したりしているのを見ると、こんなこと、喋らせておいていいのかナ? と、不安になります。
★ 3,40歳代の人たちが、「趣味を持って」とか「地域でボラを」など・・・挙げ句の果ては、「介護予備軍にならぬために・・」と弁舌爽やかに”老後の生き方”を解説するのを聴いていると、最後のオチは、お決まりの「提案」に導きます。
つまり、”親切顔”も、漠たる不安を前にした離職者の群れを「ビジネス・チャンス到来」と、捉えている魂胆が見え見え。こんな言葉遊びで起業興し出来ると、本気で考えているのでしょうね。なにか、ソラ恐ろしくなります。
★ マスコミも、こうした風潮をはやし立てる傾向があります。「老後は田舎で快適生活」といった企画記事が随分、増えました。ちょっと、目を凝らしてみれば直ぐ分かりますが、ニュースというより、「パブリシティ」 つまり裏方に広告主がいて、新聞記事の装いをしながら書かせている広告です。兆単位の退職金を手にする大量定年を、絶好のビジネス・チャンスと捉えた、デベロッパーや観光業者の「提案」です。
★ 実際に定年を3度も重ねて来た喜寿の身、こうした動きを見ると、いろいろとモノ申したくなります。
私は、”老後、田舎で快適生活”を送っています。しかし、こうしたPR企画が提案するようなことに乗せられる気にはなれません。読むたびに思うのは、これは、筆先の観念随想。実際の”田舎生活”は決して”快適生活”と直結するものではありません。
人の”快適生活”は千差万別、人それぞれに全部、違います。
★ 私は、岡山県のど真ん中、中山間地の過疎の町に住んでいます。田舎も田舎のど田舎です。が、厳密に言うなら、私が住んでいるのは「吉備高原都市」という”人造都市”
ここは、田舎のど真ん中にありながら、文化的には在来の田舎から隔絶した”ミニ都市”文化圏です。青空市などで地元の人たちとの交流はありますが、文化的には、その生活スタイルは、それぞれお互いが別々に、引きずって住み分けています。つまり、”都会生活”と”農村生活”を相互に不干渉で仲良く生きているのです。
★ 私は、常に「田舎暮らしは最高」と、言いふらしていますが、19年をこの地で生きて、はっきり断言出来るのは、「郷に入りては郷に従う」ことは無理。とくに老齢になってから都会人が田舎に来て”農村生活”に従うのは絶対に出来ない。と、いうこと。
★ 農村生活に合わせて自分のライフスタイルを全部、変える。還暦を迎えた人間に、そんなの絶対、無理です。私は、「郷に入りては郷を楽しむ」生活、つまりお互いに違いを尊重し、そのライフ・スタイルを尊敬しながら、”違いを楽しむ”ことに徹して来ました。都会の定年退職者が田舎生活に入るには、それを可能にする「新インフラ整備」が必要です。
年老いた都会人にとって、田舎暮らしに入るなら、徐々に交際を深めながら地域に溶け込む。軟着陸を可能にする条件整備が不可欠です。
★ 今、東京、大阪の大都会に住み、定年を前にして、「老後は田舎で・・・」と、漠然と自然豊かな田園生活を夢見ている方がおられるなら、私は、予定されているその土地に”都会人”がそれまでの生き方を持続し続けながら徐々に農村生活に溶け込めるような物理的「インフラ整備」があるか、どうか。それだけは確認し、計画されるのが必要だろうと、思います。廃棄された農家を購入し、移住するなどは無謀。苦悶を抱え込む始まりです。
★ 海外に新天地を・・・と、海外ロング・ステイも、国が後押しして提案していますね。我々昭和ヒトケタ世代と異なり、団塊世代は現役時代に海外生活に慣れていて大した違和感はないですね。実に気楽に海外移住を計画されます。オープンでいいです。ですが、ここにも大きな難点があります。ロング・ステイは60歳代の10年間だけの話。
★ 国によっては、終身長期滞在ビザを出して定年退職者を積極的に”誘致している”と、かなり宣伝されています。が、これもマユツバもの。小金を持って健康で適当に遊び、グルメやレクレーションしてくれているウチは大事にされもしましょうが、要介護・要支援の状態が近づくと、どこの政府にとっても”おじゃま”です。現に80歳代になって、生活保護状態の年老いたロングステイヤーが問題化している実例を幾つも見ました。
★ 70歳代になると、それまでロング・ステイで、かなり地元に馴染んだはずでも、「老後は日本の故郷で」の想いを掻きたてる人が多いです。私たち夫婦は、2週間~1ヶ月の短期”ロング・ステイ”を東南アジアのいくつかの国で試みたことがありますが、一番、ビックリしたのは、「いい物件がありますよ。投資を兼ねて如何ですか?」のお誘いでした。日本に帰国したくても資金をはたいて購入した不動産の始末が出来ず、足かせになっている例を実に多く見ました。これも、老後に苦悶を抱えたお気の毒な例です。
★ まあ、ロング・ステイもちょっと長期の旅行程度が手頃です。不動産取得など多額の資金移動は多くの場合、バクチ。老境に入って新たな苦悩のタネを蒔くようなものです。
★ 快適生活。言葉では簡単。しかも夢を掻き立てます。弁舌さわやかな”あなたの老後生活プランナー”は、田舎や海外の自然いっぱい理想楽園の”快適生活”を提案します。丸でそこで何年も生きて来たような話しぶりですが、果たして自身、そこで生活したことがあるのか、どうか? 実際の所、そこに自ら足を運んだか、どうか? それさえ保証の限りではありません。
★ ともかく、「快適生活」。この言葉は、一つ、自分自身で、実際に、その場に足を運び、何日かを”生活して”吟味されることが絶対に必要です。快適生活について語れば、日本一の碩学は、農水省森林総合研究所の宮崎良文博士でしょうが、宮崎先生、学問的に 「快適性」を定義するのは至難の業、と断言しておられます。試行錯誤、いろんな試みを重ねながら、唯一定義され、学者の同意を得ているのは 「熱的快適性」で、 「熱的環境に満足を表す心理状態」 「暑くも寒くもない感覚」 とされているだけだそうです。
★ 後は、人、それぞれに、さまざま。
宮崎先生自身は、森林に寄せる人々の深い思いにある「快適性」に目を止め、
「快適性とはリズムの同調である」
と考えておられるそうです。
★ 日常的に我々は 「波長が合う」 とか 「雰囲気が良い」 といった状況に遭遇しますね。 このような状況にあるとき、 人はその場の環境と同調していると考えられます。 そこに樹木や花といった自然のものがあると近寄ってみたくなる。 自然が人に対して精神的な安らぎを与えるこの感覚。人間は、もともと持っているものだと推論しておられます。
★ だが、一人一人の定年者の私的生活に関わる「第二の人生、どう生きる」など、本当に要らぬお世話ですね。いろいろと教訓じみたことを若い「人生プランナー」を自称する人たちがしたり顔で”提案”したりしているのを見ると、こんなこと、喋らせておいていいのかナ? と、不安になります。
★ 3,40歳代の人たちが、「趣味を持って」とか「地域でボラを」など・・・挙げ句の果ては、「介護予備軍にならぬために・・」と弁舌爽やかに”老後の生き方”を解説するのを聴いていると、最後のオチは、お決まりの「提案」に導きます。
つまり、”親切顔”も、漠たる不安を前にした離職者の群れを「ビジネス・チャンス到来」と、捉えている魂胆が見え見え。こんな言葉遊びで起業興し出来ると、本気で考えているのでしょうね。なにか、ソラ恐ろしくなります。
★ マスコミも、こうした風潮をはやし立てる傾向があります。「老後は田舎で快適生活」といった企画記事が随分、増えました。ちょっと、目を凝らしてみれば直ぐ分かりますが、ニュースというより、「パブリシティ」 つまり裏方に広告主がいて、新聞記事の装いをしながら書かせている広告です。兆単位の退職金を手にする大量定年を、絶好のビジネス・チャンスと捉えた、デベロッパーや観光業者の「提案」です。
★ 実際に定年を3度も重ねて来た喜寿の身、こうした動きを見ると、いろいろとモノ申したくなります。
私は、”老後、田舎で快適生活”を送っています。しかし、こうしたPR企画が提案するようなことに乗せられる気にはなれません。読むたびに思うのは、これは、筆先の観念随想。実際の”田舎生活”は決して”快適生活”と直結するものではありません。
人の”快適生活”は千差万別、人それぞれに全部、違います。
★ 私は、岡山県のど真ん中、中山間地の過疎の町に住んでいます。田舎も田舎のど田舎です。が、厳密に言うなら、私が住んでいるのは「吉備高原都市」という”人造都市”
ここは、田舎のど真ん中にありながら、文化的には在来の田舎から隔絶した”ミニ都市”文化圏です。青空市などで地元の人たちとの交流はありますが、文化的には、その生活スタイルは、それぞれお互いが別々に、引きずって住み分けています。つまり、”都会生活”と”農村生活”を相互に不干渉で仲良く生きているのです。
★ 私は、常に「田舎暮らしは最高」と、言いふらしていますが、19年をこの地で生きて、はっきり断言出来るのは、「郷に入りては郷に従う」ことは無理。とくに老齢になってから都会人が田舎に来て”農村生活”に従うのは絶対に出来ない。と、いうこと。
★ 農村生活に合わせて自分のライフスタイルを全部、変える。還暦を迎えた人間に、そんなの絶対、無理です。私は、「郷に入りては郷を楽しむ」生活、つまりお互いに違いを尊重し、そのライフ・スタイルを尊敬しながら、”違いを楽しむ”ことに徹して来ました。都会の定年退職者が田舎生活に入るには、それを可能にする「新インフラ整備」が必要です。
年老いた都会人にとって、田舎暮らしに入るなら、徐々に交際を深めながら地域に溶け込む。軟着陸を可能にする条件整備が不可欠です。
★ 今、東京、大阪の大都会に住み、定年を前にして、「老後は田舎で・・・」と、漠然と自然豊かな田園生活を夢見ている方がおられるなら、私は、予定されているその土地に”都会人”がそれまでの生き方を持続し続けながら徐々に農村生活に溶け込めるような物理的「インフラ整備」があるか、どうか。それだけは確認し、計画されるのが必要だろうと、思います。廃棄された農家を購入し、移住するなどは無謀。苦悶を抱え込む始まりです。
★ 海外に新天地を・・・と、海外ロング・ステイも、国が後押しして提案していますね。我々昭和ヒトケタ世代と異なり、団塊世代は現役時代に海外生活に慣れていて大した違和感はないですね。実に気楽に海外移住を計画されます。オープンでいいです。ですが、ここにも大きな難点があります。ロング・ステイは60歳代の10年間だけの話。
★ 国によっては、終身長期滞在ビザを出して定年退職者を積極的に”誘致している”と、かなり宣伝されています。が、これもマユツバもの。小金を持って健康で適当に遊び、グルメやレクレーションしてくれているウチは大事にされもしましょうが、要介護・要支援の状態が近づくと、どこの政府にとっても”おじゃま”です。現に80歳代になって、生活保護状態の年老いたロングステイヤーが問題化している実例を幾つも見ました。
★ 70歳代になると、それまでロング・ステイで、かなり地元に馴染んだはずでも、「老後は日本の故郷で」の想いを掻きたてる人が多いです。私たち夫婦は、2週間~1ヶ月の短期”ロング・ステイ”を東南アジアのいくつかの国で試みたことがありますが、一番、ビックリしたのは、「いい物件がありますよ。投資を兼ねて如何ですか?」のお誘いでした。日本に帰国したくても資金をはたいて購入した不動産の始末が出来ず、足かせになっている例を実に多く見ました。これも、老後に苦悶を抱えたお気の毒な例です。
★ まあ、ロング・ステイもちょっと長期の旅行程度が手頃です。不動産取得など多額の資金移動は多くの場合、バクチ。老境に入って新たな苦悩のタネを蒔くようなものです。
★ 快適生活。言葉では簡単。しかも夢を掻き立てます。弁舌さわやかな”あなたの老後生活プランナー”は、田舎や海外の自然いっぱい理想楽園の”快適生活”を提案します。丸でそこで何年も生きて来たような話しぶりですが、果たして自身、そこで生活したことがあるのか、どうか? 実際の所、そこに自ら足を運んだか、どうか? それさえ保証の限りではありません。
★ ともかく、「快適生活」。この言葉は、一つ、自分自身で、実際に、その場に足を運び、何日かを”生活して”吟味されることが絶対に必要です。快適生活について語れば、日本一の碩学は、農水省森林総合研究所の宮崎良文博士でしょうが、宮崎先生、学問的に 「快適性」を定義するのは至難の業、と断言しておられます。試行錯誤、いろんな試みを重ねながら、唯一定義され、学者の同意を得ているのは 「熱的快適性」で、 「熱的環境に満足を表す心理状態」 「暑くも寒くもない感覚」 とされているだけだそうです。
★ 後は、人、それぞれに、さまざま。
宮崎先生自身は、森林に寄せる人々の深い思いにある「快適性」に目を止め、
「快適性とはリズムの同調である」
と考えておられるそうです。
★ 日常的に我々は 「波長が合う」 とか 「雰囲気が良い」 といった状況に遭遇しますね。 このような状況にあるとき、 人はその場の環境と同調していると考えられます。 そこに樹木や花といった自然のものがあると近寄ってみたくなる。 自然が人に対して精神的な安らぎを与えるこの感覚。人間は、もともと持っているものだと推論しておられます。
それは、なぜか。 一つの考え方として、 「ヒト」 の誕生から500万年の間、 そのほとんどを自然環境の中で暮らしてきたことがあげられます。 人間の生理機能は自然環境の中で進化し、 脳から内臓に至るまですべてそれに合わせてつくられたのです。 「快適性」 の種類についてはいろいろ言われています。★ 宮崎先生のご著書『森の香り』(フレグランスジャーナル社) などを拝見すると、人は何故、疲れると、森林に想いをいたすのか? 定年を迎えると、何故、田舎か? 同じような視点に立ち戻ることが出来るような気がして、私が愛読している一書ですが、まあ、皆さん、定年後、何故、田舎か? 憧憬の源を温ねて、「快適性」をじっくり考え直して見られるのも、”人生選択”の転機を前に大切な思索でありましょう。
一般的には、 「積極的快適性」 と 「消極的快適性」 に分けて考えられます。
「消極的快適性」 というのは、 安全性や健康の維持を含む欠乏欲求であり、 不快の除去を目的としたものです。 例えば、 落ち着きのある木造家屋の中でゆっくりと休息をとるといった場合の 「快適性」 です。
逆に 「積極的快適性」 は適度な刺激によってもたらされる成長欲求であり、 プラスαの獲得を目的としています。 例えば、 週末に森林浴を予定するだけでワクワクしたり、 実際に出かけていって気分が高揚したりする場合の 「快適性」 です。
by zenmz
| 2007-06-04 14:06
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