2008年 04月 25日
【8031】 山間の寒村で”ムエン”は無縁な話 |
★ この山奥に来ても、我が家は、旬の海の幸を欠かしたことはありません。今日も、見事なスズキが宅急便で届きました。昨日午後、妻の従兄弟から
「明朝、いいもの、届けるから、留守せず、待っててヤ」
と連絡があり、待ち受けていたものです。発砲スチロールをはみ出す大きさ。この見事な逸品は、従兄弟が明石海峡で釣り上げ、その足で荷造りして送って下さったものです。
★ 人工の巨大造成地が誕生するまで、この吉備高原一帯は、典型的な寒村でした。20年前、ここに来た時、土地の古老から何度も聞かされた「ムエン話」 ムエン? 初めて耳にすると、”無縁”かと思いますが、実は”無塩”。この地方独特の隠語のようなもので、「鮮魚」を意味します。鮮魚など滅多に口にすることは無かった、と言うのです。
★ 「ワシらぁー子どもの頃にャーノー。家の軒に魚の頭が吊ってあったもんヨ。ウチでは塩モンは食わん、塩モン、分かる? 塩漬け加工モノや乾物魚のこと。そんなモンは食よーらん。これ、この通りナマ魚を食べよーるョ、と、自慢しあっていたもんじゃ。じゃが・・・その魚の頭。もう何年も前のモンで干からびとった」 そして大笑いしていました。
★ 事実、ここに来て、一番、困ったのは鮮魚類の調達でした。一番、近い、高梁市に出るのも20キロ。出てみたところで”鮮魚”といえるようなものはほとんどありません。みんな冷凍物ばかり。そんな状況でした。
★ しかし、我が家では、移住したその頃から、旬の鮮魚を楽しんで来ました。この”淡路のヤッサン”の定期便のおかげです。戦争中、一時期、大阪から淡路島へ疎開し、そこで妻とヤッサンは一緒に育ちました。そして岡山の山奥へ移住した、と知るや「イーチャンには淡路の魚を食べさせる」と、旬の魚を送り届けてくれるようになりました。
★ 思えば、その定期宅急便も20年。欠かさず旬の鮮魚が我が家の食卓に並びました。ヤッサンは、妻と同年齢。妻の父親は淡路島の出身で大家族でしたが一族は学校を終えると、大阪、神戸に散って行きました。ただ一人、ヤッサンは家を守って漁師を引き継ぎ、60年。それこそ淡路海峡の漁場は隅々まで知り尽くしています。
★ 「ありがとう、何と立派なスズキ、こんなのみたことないよ」
「うん、毎朝、起きるとナ、双眼鏡で海を眺める。潮の流れや、カモメの動き、それを見てると、海の底まで分かる。例えばナ・・・」
子どもの頃も、そうだったのだろう、と、思わせる二人の会話が延々と続いています。
★ ヤッサン。漁師の腕一本で3人の子どもを都会の大学で勉強させ、それぞれ立派に育て上げた海の男。私にとっても、最も敬愛する”義弟”です。
「いっぺん、おいでよ。一緒に海に出ぇーへんか?」
何度も誘われながら未だ実現しません。しかし、我ら共々、喜寿を挟む年齢。
ホンマに一度、漁船に乗せてもらい、二人で水入らずに話し込みたい。
★ 二人の会話を聞きながら、私は私の願いをふくらませています。
20年絶え間なく続いた愛の宅急便。それを思い起こす幸福なひとときでした。
「明朝、いいもの、届けるから、留守せず、待っててヤ」
と連絡があり、待ち受けていたものです。発砲スチロールをはみ出す大きさ。この見事な逸品は、従兄弟が明石海峡で釣り上げ、その足で荷造りして送って下さったものです。
★ 「ワシらぁー子どもの頃にャーノー。家の軒に魚の頭が吊ってあったもんヨ。ウチでは塩モンは食わん、塩モン、分かる? 塩漬け加工モノや乾物魚のこと。そんなモンは食よーらん。これ、この通りナマ魚を食べよーるョ、と、自慢しあっていたもんじゃ。じゃが・・・その魚の頭。もう何年も前のモンで干からびとった」 そして大笑いしていました。
★ 事実、ここに来て、一番、困ったのは鮮魚類の調達でした。一番、近い、高梁市に出るのも20キロ。出てみたところで”鮮魚”といえるようなものはほとんどありません。みんな冷凍物ばかり。そんな状況でした。
★ しかし、我が家では、移住したその頃から、旬の鮮魚を楽しんで来ました。この”淡路のヤッサン”の定期便のおかげです。戦争中、一時期、大阪から淡路島へ疎開し、そこで妻とヤッサンは一緒に育ちました。そして岡山の山奥へ移住した、と知るや「イーチャンには淡路の魚を食べさせる」と、旬の魚を送り届けてくれるようになりました。
★ 思えば、その定期宅急便も20年。欠かさず旬の鮮魚が我が家の食卓に並びました。ヤッサンは、妻と同年齢。妻の父親は淡路島の出身で大家族でしたが一族は学校を終えると、大阪、神戸に散って行きました。ただ一人、ヤッサンは家を守って漁師を引き継ぎ、60年。それこそ淡路海峡の漁場は隅々まで知り尽くしています。
★ 「ありがとう、何と立派なスズキ、こんなのみたことないよ」
「うん、毎朝、起きるとナ、双眼鏡で海を眺める。潮の流れや、カモメの動き、それを見てると、海の底まで分かる。例えばナ・・・」
子どもの頃も、そうだったのだろう、と、思わせる二人の会話が延々と続いています。
★ ヤッサン。漁師の腕一本で3人の子どもを都会の大学で勉強させ、それぞれ立派に育て上げた海の男。私にとっても、最も敬愛する”義弟”です。
「いっぺん、おいでよ。一緒に海に出ぇーへんか?」
何度も誘われながら未だ実現しません。しかし、我ら共々、喜寿を挟む年齢。
ホンマに一度、漁船に乗せてもらい、二人で水入らずに話し込みたい。
★ 二人の会話を聞きながら、私は私の願いをふくらませています。
20年絶え間なく続いた愛の宅急便。それを思い起こす幸福なひとときでした。
by zenmz
| 2008-04-25 08:11
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