2008年 05月 19日
【8056】 田舎暮らしの”国際生活” |
★ 田舎のど真ん中にあっての”国際生活” 私の老いの実験は、着実に進んで、私は毎日、非常に人生意気に感じる生活を楽しんでいます。一番の念願であるペルシャ語学習は、新しい協力者が現れて一段と拍車が掛かりました。ベトナム語、英語も混じって、毎日、いろんな外国語を使わざるを得ない生活です。
★ 先ず何をおいても欠かさないのが”ネット留学” 相変わらず毎日、ハッサン先生の「Easy Persian」の教室に通っています。耳で聞いてそのままオウム返し、そしてその文章をペルシャ文字で綴る。3時間はアッという間に過ぎてしまいます。この間、説明は全部、英語。
★ ペルシャ語よちよち歩きの私のPTA役は、メイシャンさんとTataママーン。お二人ともイラン人と結婚した日本人妻です。何でも分からないことが起こるたびにSOS発信、
「イン・チ?」(これ何?) 「・・・・ベ・ファルシ・チ・ミシェ?」(ペルシャ語で何と言うの?)
PTAのお二人は、念のためご主人と相談して、正しい答えが直ぐ返ってきます。
★ その上、先週からイランに住む青年二人から協力の申し出がありました。
「私は日本語に興味をもっています。ペルシャ語と日本語の交換学習しませんか?」 モジさん、イランのドイツ大使館の依頼で現地の「ゲーテ語学学校」でドイツ語を教えている29歳の青年。英語、イタリア語も「母国語並み」とか。早速、きれいなPDFファイルで「第一課」を送って来ました。日本語とペルシャ語の対訳メールを交換し合ってはどうか? という提案です。
★ もう一人は、パイヤムという新聞記者。美術評論もする幅広い教養がにじみ出ているインテリ。「何でも質問を・・・私は、ここイランで、日本からの留学生にもペルシャ語を教えています」というベテラン。メールを受け取るたびに「とにかく、あなたに是非、早く会いたい。いつ、イランにくるのか?」 最も心強い”親友”です。
★ 毎日、こうしたPTAの皆さんの支えをいただいて私のペルシャ語修行は、着実に進んでいます。「また、ネット・オタクに戻った」と、妻には評判が悪いのですが、イラン発信の日本人妻の皆さんが発信されるブログには毎日、必ずアクセスします。
「ガソリン価格が急騰、一日10リットルに制限」 ヘェー?? あの石油産出国のイランで??? ビックリするような庶民生活の苦境がジカに伝わります。
★ こちらの小・中学校で英語を教えているアメリカ娘と、自動車部品の製造会社で研修中のベトナム娘たち9人にも日本語を教えています。長足の進歩。みんな会うたびに日本語が上手になっています。
★ 最も愛する我がベトナム孫娘たちは日曜日にやってきます。
2時間、私がつくった教材でみっちり勉強。最近は長文練習。一つ一つ習い覚えた短文をどのように結びつければ、きれいな日本語文章になるか? その練習。
それが終わると、楽しいお茶。そしてピピ、連れて散歩に出ます。
★ 歩きながら、こんどは私のベトナム語学習。 昨日は、田圃のあぜ道を散歩しました。
「ベトナムは二毛作と三毛作、お米たくさんとれます。世界一のお米輸出国ヨ」
田植えのすんだ田圃を懐かしみ、さて勉強、いきなり
「オジイチャン、オコメの苗、何?」
★ それぐらいは知っている。「一番、最初に習ったね。マァ」
みんな大笑い。「違います、オジイチャン、ソレ、オバケ」
??? 確か、「マァだったはず?」
★ 「マーと横に発音するからダメ。マァッ、と直ぐ下へ落として! マァッ! チガウ、チガイマス。マッ!mのオト出たらすぐ落としてマッ!マッ! アー、ダメだ。」
★ 要するに発音が悪いのです。ベトナム語の泣き所、どれだけ単語を覚えても、発音が悪いと意味が変わります。早い話、この稲の苗は「ma」 ですけれど、発音のしかたで、幽霊、しかしという接続詞、おかあさん、頬(ほほ) 基 粗悪品など六つの意味に変わります。 私の発音は、オバケかお墓になるそうです。
★ ペルシャ語の発音も日本語に全然ない音がありますから難しいです。けれど、ベトナム語と比べれば、問題にするようなものではありません。直ぐ慣れます。でもベトナム語は難物。何しろ一つ一つの単語に6通りの発音があります。まだまだダメ、もう落第ですね。
★ アメリカ娘の日本語も上手になりました。毎週、強制している日々の日本語作文「400字原稿用紙1枚、縦書き」の宿題は確実にこなします。最近は漢字がどんどん増えました。宿題も自分で原稿用紙2枚に増やして差し出すようになりました。
★ 質問もかなり高等になって来ました。
★ 「それはね。”あなたが旅行先でプレゼントを買った。それは私のことを想ってのこと。そんな心配をさせて・・・”本当にスミマセン、と言う意味。初めの”~”は言わなくても日本人同士だったら分かっているんだヨ。 だから、このような場面での日本語のスミマセンは thank you」
★ 「日本人は 直接的な表現をあまりしないよ。例えば、NO. 日本人が一番、嫌う言葉、NO は非常に強い拒絶に聞こえる。だから日本人の多くは、そんな時、「ウン、まあ、考えトク」などとアイマイに答える。そう言えば ココロは NO 覚えトイテ。役に立つよ」
★ このアメリカ娘が一番、喜んだ謙譲語の例え
「日本では身内のことを蔑んだものの言い方をする。例えば、この私の妻。
昔は、”This is my ignorant wife(愚妻)”と初対面の人に紹介したものだった。
Oh, that is my foolish daughter! (愚娘」
現れた彼女の親友である我が娘を指さしたら転げ回って、大爆笑。
★ オジイチャン、ハレ・ショマー・フベ?(オジイチャン、元気)
突然、ベトナム娘がイラン語で話しかけて来ました。
今年の3月、私が ペルシャ語を始めたのを知った時、9人そろって不審顔をした娘たち。「どうしたの?」 と訊いたら、「コワイデス。イラン、イラク・・・」と答えたものでした。ただ、テレビで見る映像だけでしかイランを知らないのに非常にネガティブな先入観を持っていました。
★ それから2ヶ月、いつの間にか、私と会うたびに「ペルシャ語ってどんな言葉?」とねだるようになり、いつしか、”コワイ”国の言葉で遊ぶようになりました。アメリカ娘もそうでした。最近は、「銭本さんチに行って何してるの?」と訊ねられると、「イラン語の勉強」などと冗談を言っているそうです。
★ 世界から嫌われる「悪の枢軸国・イラン」 私は、これらの異国の娘たちと交流していて、その悪意に満ちた憎悪感の刷り込みが、なぜここまで浸透しているのか? それを怪しみます。そして今、この若い娘たちが、イランに親近感を持ち始めたことを私は、とりわけうれしく感じています。
★ イランの庶民は私たちと変わりません。底抜けに善人が多いです。それを知ってほしい、と、いろんな物語を、娘たちに語っています。この山奥での「国際生活」 ネットのお陰ですね。世界をナマに実感して本当に楽しいです。
★ 喜寿より傘寿への道・・・・老いの身のロマンがふくよかに広がっていくのを感じます。
***** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって *****
★ 先ず何をおいても欠かさないのが”ネット留学” 相変わらず毎日、ハッサン先生の「Easy Persian」の教室に通っています。耳で聞いてそのままオウム返し、そしてその文章をペルシャ文字で綴る。3時間はアッという間に過ぎてしまいます。この間、説明は全部、英語。
★ ペルシャ語よちよち歩きの私のPTA役は、メイシャンさんとTataママーン。お二人ともイラン人と結婚した日本人妻です。何でも分からないことが起こるたびにSOS発信、
「イン・チ?」(これ何?) 「・・・・ベ・ファルシ・チ・ミシェ?」(ペルシャ語で何と言うの?)
PTAのお二人は、念のためご主人と相談して、正しい答えが直ぐ返ってきます。
★ その上、先週からイランに住む青年二人から協力の申し出がありました。
「私は日本語に興味をもっています。ペルシャ語と日本語の交換学習しませんか?」 モジさん、イランのドイツ大使館の依頼で現地の「ゲーテ語学学校」でドイツ語を教えている29歳の青年。英語、イタリア語も「母国語並み」とか。早速、きれいなPDFファイルで「第一課」を送って来ました。日本語とペルシャ語の対訳メールを交換し合ってはどうか? という提案です。
★ もう一人は、パイヤムという新聞記者。美術評論もする幅広い教養がにじみ出ているインテリ。「何でも質問を・・・私は、ここイランで、日本からの留学生にもペルシャ語を教えています」というベテラン。メールを受け取るたびに「とにかく、あなたに是非、早く会いたい。いつ、イランにくるのか?」 最も心強い”親友”です。
★ 毎日、こうしたPTAの皆さんの支えをいただいて私のペルシャ語修行は、着実に進んでいます。「また、ネット・オタクに戻った」と、妻には評判が悪いのですが、イラン発信の日本人妻の皆さんが発信されるブログには毎日、必ずアクセスします。
「ガソリン価格が急騰、一日10リットルに制限」 ヘェー?? あの石油産出国のイランで??? ビックリするような庶民生活の苦境がジカに伝わります。
★ こちらの小・中学校で英語を教えているアメリカ娘と、自動車部品の製造会社で研修中のベトナム娘たち9人にも日本語を教えています。長足の進歩。みんな会うたびに日本語が上手になっています。
2時間、私がつくった教材でみっちり勉強。最近は長文練習。一つ一つ習い覚えた短文をどのように結びつければ、きれいな日本語文章になるか? その練習。
それが終わると、楽しいお茶。そしてピピ、連れて散歩に出ます。
★ 歩きながら、こんどは私のベトナム語学習。 昨日は、田圃のあぜ道を散歩しました。
「ベトナムは二毛作と三毛作、お米たくさんとれます。世界一のお米輸出国ヨ」
田植えのすんだ田圃を懐かしみ、さて勉強、いきなり
「オジイチャン、オコメの苗、何?」
★ それぐらいは知っている。「一番、最初に習ったね。マァ」
みんな大笑い。「違います、オジイチャン、ソレ、オバケ」
??? 確か、「マァだったはず?」
★ 「マーと横に発音するからダメ。マァッ、と直ぐ下へ落として! マァッ! チガウ、チガイマス。マッ!mのオト出たらすぐ落としてマッ!マッ! アー、ダメだ。」
★ 要するに発音が悪いのです。ベトナム語の泣き所、どれだけ単語を覚えても、発音が悪いと意味が変わります。早い話、この稲の苗は「ma」 ですけれど、発音のしかたで、幽霊、しかしという接続詞、おかあさん、頬(ほほ) 基 粗悪品など六つの意味に変わります。 私の発音は、オバケかお墓になるそうです。
★ ペルシャ語の発音も日本語に全然ない音がありますから難しいです。けれど、ベトナム語と比べれば、問題にするようなものではありません。直ぐ慣れます。でもベトナム語は難物。何しろ一つ一つの単語に6通りの発音があります。まだまだダメ、もう落第ですね。
★ アメリカ娘の日本語も上手になりました。毎週、強制している日々の日本語作文「400字原稿用紙1枚、縦書き」の宿題は確実にこなします。最近は漢字がどんどん増えました。宿題も自分で原稿用紙2枚に増やして差し出すようになりました。
★ 質問もかなり高等になって来ました。
お隣のおばさんに旅行に行ったおみやげをあげました。そしたら「すみません」といいます。「すみません」は I am sorry でしょう。 なぜ、謝りますか? 日本人と話をすると、「すみません」という言葉、いっぱいあります。わかりません。
★ 「それはね。”あなたが旅行先でプレゼントを買った。それは私のことを想ってのこと。そんな心配をさせて・・・”本当にスミマセン、と言う意味。初めの”~”は言わなくても日本人同士だったら分かっているんだヨ。 だから、このような場面での日本語のスミマセンは thank you」
★ 「日本人は 直接的な表現をあまりしないよ。例えば、NO. 日本人が一番、嫌う言葉、NO は非常に強い拒絶に聞こえる。だから日本人の多くは、そんな時、「ウン、まあ、考えトク」などとアイマイに答える。そう言えば ココロは NO 覚えトイテ。役に立つよ」
★ このアメリカ娘が一番、喜んだ謙譲語の例え
「日本では身内のことを蔑んだものの言い方をする。例えば、この私の妻。
昔は、”This is my ignorant wife(愚妻)”と初対面の人に紹介したものだった。
Oh, that is my foolish daughter! (愚娘」
現れた彼女の親友である我が娘を指さしたら転げ回って、大爆笑。
★ オジイチャン、ハレ・ショマー・フベ?(オジイチャン、元気)
突然、ベトナム娘がイラン語で話しかけて来ました。
今年の3月、私が ペルシャ語を始めたのを知った時、9人そろって不審顔をした娘たち。「どうしたの?」 と訊いたら、「コワイデス。イラン、イラク・・・」と答えたものでした。ただ、テレビで見る映像だけでしかイランを知らないのに非常にネガティブな先入観を持っていました。
★ それから2ヶ月、いつの間にか、私と会うたびに「ペルシャ語ってどんな言葉?」とねだるようになり、いつしか、”コワイ”国の言葉で遊ぶようになりました。アメリカ娘もそうでした。最近は、「銭本さんチに行って何してるの?」と訊ねられると、「イラン語の勉強」などと冗談を言っているそうです。
★ 世界から嫌われる「悪の枢軸国・イラン」 私は、これらの異国の娘たちと交流していて、その悪意に満ちた憎悪感の刷り込みが、なぜここまで浸透しているのか? それを怪しみます。そして今、この若い娘たちが、イランに親近感を持ち始めたことを私は、とりわけうれしく感じています。
★ イランの庶民は私たちと変わりません。底抜けに善人が多いです。それを知ってほしい、と、いろんな物語を、娘たちに語っています。この山奥での「国際生活」 ネットのお陰ですね。世界をナマに実感して本当に楽しいです。
★ 喜寿より傘寿への道・・・・老いの身のロマンがふくよかに広がっていくのを感じます。
***** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって *****
by zenmz
| 2008-05-19 11:44
| فارسى ペルシャ語