2008年 08月 20日
【8149】 華麗な八十八歳の軌跡 |
★ 豊後レイコさんが「八十八歳レイコの軌跡」と題した一書を上梓されました。立派な帯紙に、日野原重明先生が「米寿まで図書館司書スピリットに染められた自分史。大正、昭和、平成にわたって生きた女性の筋の通った見識の本」と激賞しておられるように、この方、”ただ者”ではありません。
★ 事実、戦後の大学人で、ことアメリカに関する政治・経済・外交・文化・・・いろんな分野のアメリカ研究家で、この方の令名を知らぬ人はないでしょう。多数の研究者が学恩を受けているはずです。
★ 現在の「アメリカンセンター」が「SCAP/CIE」(連合国軍最高司令部・民間情報教育局)”図書館”と呼ばれていた頃から60年間、ライブラリアンとして一筋に歩まれた、日本におけるアメリカ書誌学の巨峰です。
★ 私は、未だ毎日新聞記者をしていた昭和52年(1977)に当時、執筆記事の補強のため大阪・桜橋の産経会館の中にあった大阪アメリカ文化センターを訪れ、米連邦議会の議事録の点検をかなり長期に亘ってしましたが、その折、懇切・丁寧に私が必要とする文献を揃えてくださったのが豊後さんでした。
★ それは、障害者福祉の歴史的転換と言われた Mainstreaming (障害者の社会統合政策)に関する事柄で、それはこれまでの障害者福祉の考え方を180度大転換するものでしたが、当時、この新語を知る人は大学の専門家にもいませんでした。
★ そこで「アメリカの図書館なら、わかるかも・・・」と訪れたのですが、ビックリしたのは、Mainstreaming の一語だけで、「1を聴いて10を知る」感じで私が求める必要諸資料がたちどころに眼前に並べられたことです。これほど見事なインフォメーション・サービスは初体験でした。
★ 以来、私は、時間があると、「桜橋のアメリカ」に足繁く通い、その都度、ご指導を受けるようになりました。勤め先の毎日新聞は「桜橋交差点」を渡った先に位置していました。まさに隣のビルに行く気安さで、ほとんど毎日、2,3時間、米連邦議会議事録を読んで過ごしました。
★ それからもはや35年の長い交際が続きました。会えば軽口、冗談を言う間柄の親密度がありますが、この才女はまた、希有の美女でもありました。小柄ながら知的な雰囲気が漂い、少々、近寄りがたい威圧感さえありました。
★ 我が家にもお越しいただいたこともあり、妻とも非常に懇意にお付き合いしていただいておりますが、いつも夫婦で語らう”豊後レイコさん”は「偉大な黒子」 歌舞伎などで、黒装束を着用し役者の介添や舞台装置を操作し、裏方に徹する人、のイメージでした。
★ ですから、つい最近まで、個人的なお話は全く知らずに過ごしました。が今回の自分史開陳で、その深い人生の足跡の軌跡に驚いています。
★ ところが、この”黒子”さんが、定年を前に突如、社会の表舞台に躍り出たのです。それは、ちょうど、私も新聞社の定年を迎えた頃だったと思います。豊後さんが自らの定年を前に突然、退職し、アメリカに渡りました。そして帰国するなり、「エルダー・ホステル運動を日本で展開する」と宣言されたのです。
★ 若者のホステル運動。それに似た発想です。
《学習と旅・大学を結びつけた定年退職者の生涯教育》
《退職金をつぎ込んで、即、実行》
その”不言実行”にも驚きました。
★ 聴かされる方はイメージも十分、沸かない。 口をあんぐりしている間に、あれよ、あれよ!と驚くばかり。大阪駅近くのマンションに「エルダー国際交流協会」(後エルダーホステル協会と改称)をオープンし、「日本のエルダーをアメリカへ」、「アメリカのエルダーを日本へ」、と相互交流するユニークなプログラムを打ち出して活動を始めました。
★ 既に65歳は超えておられたように思います。華麗な変身・・・すごいバイタリティ、しかも新時代を切り開く新しい発想です。いまでこそ国公立大学、私学を問わず、どこでもエルダー講座などを公開するようになり、それに旅行会社などが乗って「生涯教育と旅」などと宣伝し始めていますが、豊後さんが先駆者。もう20年以上も前に、それを発想し、事業化したのです。何と柔軟な頭脳の持ち主でしょう。その事情なども本書に詳しく紹介されています。
★ 私よりちょうど10歳の年長者。図書館司書としてはピカイチのアメリカ書誌学の大家です。定年退職者の生涯教育プランナーとして老後人生再構築も超一流。本当に華麗な八十八歳の自分史。図書館司書や高齢者だけでなく、特に定年を前にした団塊の世代の方々に是非、ご一読をお薦めしたい一書です。
** ご挨拶 **
ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
★ 事実、戦後の大学人で、ことアメリカに関する政治・経済・外交・文化・・・いろんな分野のアメリカ研究家で、この方の令名を知らぬ人はないでしょう。多数の研究者が学恩を受けているはずです。
★ 現在の「アメリカンセンター」が「SCAP/CIE」(連合国軍最高司令部・民間情報教育局)”図書館”と呼ばれていた頃から60年間、ライブラリアンとして一筋に歩まれた、日本におけるアメリカ書誌学の巨峰です。
★ 私は、未だ毎日新聞記者をしていた昭和52年(1977)に当時、執筆記事の補強のため大阪・桜橋の産経会館の中にあった大阪アメリカ文化センターを訪れ、米連邦議会の議事録の点検をかなり長期に亘ってしましたが、その折、懇切・丁寧に私が必要とする文献を揃えてくださったのが豊後さんでした。
★ それは、障害者福祉の歴史的転換と言われた Mainstreaming (障害者の社会統合政策)に関する事柄で、それはこれまでの障害者福祉の考え方を180度大転換するものでしたが、当時、この新語を知る人は大学の専門家にもいませんでした。
★ そこで「アメリカの図書館なら、わかるかも・・・」と訪れたのですが、ビックリしたのは、Mainstreaming の一語だけで、「1を聴いて10を知る」感じで私が求める必要諸資料がたちどころに眼前に並べられたことです。これほど見事なインフォメーション・サービスは初体験でした。
★ 以来、私は、時間があると、「桜橋のアメリカ」に足繁く通い、その都度、ご指導を受けるようになりました。勤め先の毎日新聞は「桜橋交差点」を渡った先に位置していました。まさに隣のビルに行く気安さで、ほとんど毎日、2,3時間、米連邦議会議事録を読んで過ごしました。
★ それからもはや35年の長い交際が続きました。会えば軽口、冗談を言う間柄の親密度がありますが、この才女はまた、希有の美女でもありました。小柄ながら知的な雰囲気が漂い、少々、近寄りがたい威圧感さえありました。
★ 我が家にもお越しいただいたこともあり、妻とも非常に懇意にお付き合いしていただいておりますが、いつも夫婦で語らう”豊後レイコさん”は「偉大な黒子」 歌舞伎などで、黒装束を着用し役者の介添や舞台装置を操作し、裏方に徹する人、のイメージでした。
★ ですから、つい最近まで、個人的なお話は全く知らずに過ごしました。が今回の自分史開陳で、その深い人生の足跡の軌跡に驚いています。
★ ところが、この”黒子”さんが、定年を前に突如、社会の表舞台に躍り出たのです。それは、ちょうど、私も新聞社の定年を迎えた頃だったと思います。豊後さんが自らの定年を前に突然、退職し、アメリカに渡りました。そして帰国するなり、「エルダー・ホステル運動を日本で展開する」と宣言されたのです。
★ 若者のホステル運動。それに似た発想です。
《学習と旅・大学を結びつけた定年退職者の生涯教育》
《退職金をつぎ込んで、即、実行》
その”不言実行”にも驚きました。
★ 聴かされる方はイメージも十分、沸かない。 口をあんぐりしている間に、あれよ、あれよ!と驚くばかり。大阪駅近くのマンションに「エルダー国際交流協会」(後エルダーホステル協会と改称)をオープンし、「日本のエルダーをアメリカへ」、「アメリカのエルダーを日本へ」、と相互交流するユニークなプログラムを打ち出して活動を始めました。
★ 既に65歳は超えておられたように思います。華麗な変身・・・すごいバイタリティ、しかも新時代を切り開く新しい発想です。いまでこそ国公立大学、私学を問わず、どこでもエルダー講座などを公開するようになり、それに旅行会社などが乗って「生涯教育と旅」などと宣伝し始めていますが、豊後さんが先駆者。もう20年以上も前に、それを発想し、事業化したのです。何と柔軟な頭脳の持ち主でしょう。その事情なども本書に詳しく紹介されています。
★ 私よりちょうど10歳の年長者。図書館司書としてはピカイチのアメリカ書誌学の大家です。定年退職者の生涯教育プランナーとして老後人生再構築も超一流。本当に華麗な八十八歳の自分史。図書館司書や高齢者だけでなく、特に定年を前にした団塊の世代の方々に是非、ご一読をお薦めしたい一書です。
豊後レイコ著:「八十八歳レイコの軌跡--原子野・図書館・エルダーホステル」(ドメス出版刊、本体2400+税 ISBN978-4-8107-0707-6-c0036 )
** ご挨拶 **
ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
by zenmz
| 2008-08-20 21:57
| 一期一会