2008年 09月 10日
【8169】 もう何年、保つかな? 老いの定めへの問いかけ |
★ 「もう何年、保つかな?」 老妻と二人、向かい合うと、同じ言葉を繰り返すことが多くなりました。私は”喜寿”(77)を卒業して”傘寿”(80)に向かう身、妻は2歳遅れで、そろそろ”喜寿”に足を踏み込みます。冒頭の述懐・・・口に出さぬ「この”今”の活力は」が、省略されています。
★ 幸い、”今”のところ、元気。 妻は喘息、私は腎臓病、共に厄介な病を抱えていますが、それが逆に奏功し、食養生に心がけ、「一病息災」に転じて、まるで「永遠に生き続ける」かのような錯覚に身を委ねているのですから、人生も、面白いですね。
★ 振り返り見れば、私の78年。二十歳前後までは戦争の時代と、戦後の一億総飢餓を生き延びる苦難の時期でしたが、その後の半世紀は右肩あがりに豊かさ求めて”この世の天国”への歩みをひた走りに走りました。新聞記者から大学教授へ。幸運に恵まれて、あまり苦労を知らずに老境に入りました。感謝すべき人生であったと思います。
★ それだからだろう、と反省します。若い頃には、いわゆる”個人主義”に傾き、「鉄の宰相」と言われた英国のサッチャー元首相の口癖演説「個人は自分の行動に対して最終的に責任がある。人間はその責任を担って行動はしなければならない」に限りない共感を覚えて壮年期を過ごしました。
★ しかし、新聞社の定年を迎え(55歳)そろそろ向老期に入るようになって、サッチャーさんのような徹底した「競争原理と自助努力」の古典的”個人主義”は誤りだろう、と考えるようになりました。
★ それは、盛者の論理。弱い者への顧慮が足りません。それを強く感じました。そして大学で社会福祉を教えるようになって、私の考えは”個人主義”から離脱し、”福祉社会主義”に大きく傾きました。
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★ 「もう何年、保つかな?」 夫婦の間で、この問いかけを、交わすようになったのは、やはり小泉-安倍-福田とたらい回しされた自民党政権の改革路線が老人イジメを現実にするものであり、”弱者”となった自らの老後生活への不安を掻き立てられるようになったからだと思います。
★ 一口に言って、それは、老化に伴う不可欠の問題、「要介護」への恐れです。今、ある意識は、”永遠に生きる”かのような錯覚に安住し、”要介護”の身に陥るなど想いもしません。だからこそペルシャ語の学習にもいそしんでいます。しかし、耳に飛び込む情報は、そんな脳天気な私を、厳しい現実に引き戻します。
★ 最近、最も、驚いたニュース。皆さんも覚えていらっしゃるでしょうか? 私が信奉した、あの英国のサッチャー元首相。今、82歳になられたそうです。その方が再びニュースの主人公として世界のマスコミに登場したのは先月末のこと。 新聞各紙は、一斉に次の報道しました。
★ 長女、キャロル・サッチャーさんは、今、ロンドンの新聞に元首相の病状回想録を書いていますが、それによると、82才になったサッチャー元首相は物忘れがひどく「調子の悪い日は、ひとつの文を言い終えないうちに、何を言っていたか分からなくなることもある」と書いている、とか。
★ また、キャロルさんが、最初にサッチャー元首相の認知症の兆候に気付いたのは、元首相が75才のときだったそうです。キャロルさんはそのとき「いすから落ちそうになった」とも書いている、そうです。一瞬、絶句。何たること! とても信じられない光景です。
★ サッチャーさんは私より4歳、年長の方。それこそ20世紀世界をリードした不世出の女性宰相でした。あの名演説「個人は自分の行動に対して最終的に責任がある。人間はその責任を担って行動はしなければならない」で国民を叱咤激励し、どんな抵抗勢力にも屈しなかった”鉄腕女傑”の老後を襲った不条理に憐憫の情を禁じ得ません。
★ 間もなく9月15日。日本は、この日、国民祝日「敬老の日」と定めています。その主役は一体、誰なのか? サッチャー元首相は英国・救国の名宰相でした。その方が今、認知症。同じように「地獄」の戦後混乱社会を現在の「天国」に作り替えた”後期高齢者”の多くが認知症で介護を受けています。果たして、「敬老」の念は、この人々に向けられているでしょうか?
★ 同じ病に苦しむ我が国の”後期高齢者”たち。”産業戦士”と謳われた功労者たちの多くが認知症に悩み、世に疎んぜられている現実を思えば「敬老の日」は如何にも空虚な風景です。
★ 「もう何年、保つかな?」 私の妻への問いかけは、「今日を一日、どう生きるか?」
老妻に改めて、その意味の確認を求める会話でもあります。
「今日一日、楽しかったネ」
人生意気に感じる今日一日、この先、それを毎日、積み重ねて、終焉の日を迎えたいね、そんな、切なる思いを乗せて、自覚を促しています。
★ 担保のないコトバだけの「敬老」 ”後期高齢者”に自己責任を求める社会に、あれこれ、期待を抱くのは幻想でしかありませんね。やはりしっかり自らの生活は、自ら築く。今は、その決意を育んで生きようネ。
★ 認知症になった、その先は・・・・なるようになる。子・孫を信じよう、思い悩むことはない。
お互い、その日が来るまで、今のままでいいじゃないか。辿り着く結論は、いつも、こうですが・・・・・。
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
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★ 幸い、”今”のところ、元気。 妻は喘息、私は腎臓病、共に厄介な病を抱えていますが、それが逆に奏功し、食養生に心がけ、「一病息災」に転じて、まるで「永遠に生き続ける」かのような錯覚に身を委ねているのですから、人生も、面白いですね。
★ 振り返り見れば、私の78年。二十歳前後までは戦争の時代と、戦後の一億総飢餓を生き延びる苦難の時期でしたが、その後の半世紀は右肩あがりに豊かさ求めて”この世の天国”への歩みをひた走りに走りました。新聞記者から大学教授へ。幸運に恵まれて、あまり苦労を知らずに老境に入りました。感謝すべき人生であったと思います。
★ それだからだろう、と反省します。若い頃には、いわゆる”個人主義”に傾き、「鉄の宰相」と言われた英国のサッチャー元首相の口癖演説「個人は自分の行動に対して最終的に責任がある。人間はその責任を担って行動はしなければならない」に限りない共感を覚えて壮年期を過ごしました。
★ しかし、新聞社の定年を迎え(55歳)そろそろ向老期に入るようになって、サッチャーさんのような徹底した「競争原理と自助努力」の古典的”個人主義”は誤りだろう、と考えるようになりました。
★ それは、盛者の論理。弱い者への顧慮が足りません。それを強く感じました。そして大学で社会福祉を教えるようになって、私の考えは”個人主義”から離脱し、”福祉社会主義”に大きく傾きました。
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★ 「もう何年、保つかな?」 夫婦の間で、この問いかけを、交わすようになったのは、やはり小泉-安倍-福田とたらい回しされた自民党政権の改革路線が老人イジメを現実にするものであり、”弱者”となった自らの老後生活への不安を掻き立てられるようになったからだと思います。
★ 一口に言って、それは、老化に伴う不可欠の問題、「要介護」への恐れです。今、ある意識は、”永遠に生きる”かのような錯覚に安住し、”要介護”の身に陥るなど想いもしません。だからこそペルシャ語の学習にもいそしんでいます。しかし、耳に飛び込む情報は、そんな脳天気な私を、厳しい現実に引き戻します。
★ 最近、最も、驚いたニュース。皆さんも覚えていらっしゃるでしょうか? 私が信奉した、あの英国のサッチャー元首相。今、82歳になられたそうです。その方が再びニュースの主人公として世界のマスコミに登場したのは先月末のこと。 新聞各紙は、一斉に次の報道しました。
★ 一瞬、信じられない報道でした。手の施しようも無かった「英国病」を”競争原理と自助努力”で克服し、フォークランド紛争危機(1982)では断固出兵しアルゼンチンとの戦いに勝利した”鉄腕女傑” 公表された今年3月撮影の写真は全く別人の「老人施設の老女」に見えます。
「鉄の女」の異名で知られたマーガレット・サッチャー英元首相(82)が認知症を患っていることが(8月)24日、分かった。英メディアによるとサッチャー元首相の長女キャロルさんが、近く出版される回想録で、元首相が2000年から認知症の症状が始まっていたと明らかにし、その著作の中で「吸い取り紙の脳」のようだったサッチャー元首相の記憶力が急速に衰え「同じことを何度も尋ねるようになった」と述べた。
★ 長女、キャロル・サッチャーさんは、今、ロンドンの新聞に元首相の病状回想録を書いていますが、それによると、82才になったサッチャー元首相は物忘れがひどく「調子の悪い日は、ひとつの文を言い終えないうちに、何を言っていたか分からなくなることもある」と書いている、とか。
★ また、キャロルさんが、最初にサッチャー元首相の認知症の兆候に気付いたのは、元首相が75才のときだったそうです。キャロルさんはそのとき「いすから落ちそうになった」とも書いている、そうです。一瞬、絶句。何たること! とても信じられない光景です。
★ サッチャーさんは私より4歳、年長の方。それこそ20世紀世界をリードした不世出の女性宰相でした。あの名演説「個人は自分の行動に対して最終的に責任がある。人間はその責任を担って行動はしなければならない」で国民を叱咤激励し、どんな抵抗勢力にも屈しなかった”鉄腕女傑”の老後を襲った不条理に憐憫の情を禁じ得ません。
★ 間もなく9月15日。日本は、この日、国民祝日「敬老の日」と定めています。その主役は一体、誰なのか? サッチャー元首相は英国・救国の名宰相でした。その方が今、認知症。同じように「地獄」の戦後混乱社会を現在の「天国」に作り替えた”後期高齢者”の多くが認知症で介護を受けています。果たして、「敬老」の念は、この人々に向けられているでしょうか?
★ 同じ病に苦しむ我が国の”後期高齢者”たち。”産業戦士”と謳われた功労者たちの多くが認知症に悩み、世に疎んぜられている現実を思えば「敬老の日」は如何にも空虚な風景です。
★ 「もう何年、保つかな?」 私の妻への問いかけは、「今日を一日、どう生きるか?」
老妻に改めて、その意味の確認を求める会話でもあります。
「今日一日、楽しかったネ」
人生意気に感じる今日一日、この先、それを毎日、積み重ねて、終焉の日を迎えたいね、そんな、切なる思いを乗せて、自覚を促しています。
★ 担保のないコトバだけの「敬老」 ”後期高齢者”に自己責任を求める社会に、あれこれ、期待を抱くのは幻想でしかありませんね。やはりしっかり自らの生活は、自ら築く。今は、その決意を育んで生きようネ。
★ 認知症になった、その先は・・・・なるようになる。子・孫を信じよう、思い悩むことはない。
お互い、その日が来るまで、今のままでいいじゃないか。辿り着く結論は、いつも、こうですが・・・・・。
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by zenmz
| 2008-09-10 00:01
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