2008年 11月 24日
【8244】 128年目の”自責の杖” |
★ この数日、悩み抜いたことですが、やはり、キチンと書いて、関係者はじめ、学生を持つ親や世間の皆さんに訴えたいと思います。同志社に始まり、慶應、早稲田、関西学院・・・・いわゆる名門私大で次々と逮捕者を出した大麻問題。これは、看過出来ません。
★ 事件は繰り返し記すまでもなく周知の事実です。他の大学については触れたくありません。ただ、同志社は私の出身学校。それこそ「同窓」、「同人」 我が育ちの原点を創立者・新島襄先生の遺訓に求めて、今も生きている老学生には、あまりにも生々しく心痛む事件です。
★ 私が、この事件について、一言、社会に向けて発言を求める由縁は、たまたまテレビで教育者であるお茶の間軽評論家の次のコメントを聴いたからです。
★ 拍手と笑いで大受けしたこの発言。その肩書きを見れば、この論者は、それが分かっていながら、そのような若者を”教導”する責任感など全くありません。、ただ、学園の荒廃は”遊び惚ける学生”に責任のあることと投げやりな目で見るだけ。
★ 私は一人、つぶやきました
★ 以下の一文は、同志社同人に訴えます。他大学の関係者は無視してください。
私たちは、この学生をむち打つのは止めましょう。
私たちの教育が、見落としていた、あるいは、間違っていたことを直視しましょう。
すべてに先んじて、校祖・新島先生ご自身、身をもって対処された教えに学びましょう。この事態にどう対処するのか。 その答えは、そこにあると思います。
★ 我ら、同志社同人・・・だれ一人、新島先生の「自責の杖」の尊い教えを知らぬ者はありますまい。もし、これを知らぬ者あれば、何のために同志社に集ったのか? その志を問わねばなりません。
★ 思い起こしましょう。明治13年(1880)4月13日の出来事を。128年も前の出来事・・・忘れた、知らぬ、という同人がいるかもしれません。起こった出来事を証言している次の一文を心して読んでいただきたい。これは、当時、新入生として入学したばかりの生徒、原田助氏(後、同志社第7代社長)の日記から抜粋したものです。
★ 旅行から戻った新島先生に、生徒の中の強硬派が「校則に反した生徒の行動をどうするのか?」と、更に迫りました。その時、新島先生がとられた行動が、「その罪、我にあり」と生徒に陳謝し、規則がある以上、それに従い、「罰する」と自らを鞭打たれたのです。
★ 我々は、今、128年のタイムトンネルを戻り、新島先生の「自責の杖」の場に、自らの姿を置こうではありませんか。教育に携わる者すべて、この尊い教えの後も、生徒の不始末が起こると、学校当局にまずさがあっても、それはそれとして誰ひとり問うことなく、生徒だけを罰して来ました。
★ 同志社も「自責の杖」の教えから128年間、ずっと学生・生徒を罰することで学校秩序を維持して、”キレイな顔”を保って来ました。
まず、それをしっかり確認しようではありませんか。そして自らに問いましょう。
同志社は、学生にとって何であるのか、と。
★ 私は、懇願します。この学生は犯罪を犯しました。法に基づき罰するのは当然のこと。しかし、そのこと自体、同志社の学生として、一番、教育を必要としている若者である一面に目を向けねばなりません。もし、教育が新島先生が指し示された”愛の営為”と言うなら、今、同志社がこぞって立ち上がるべきは、この学生の教育課題をしっかり受け止めることです。
★ 後輩の現役学生の皆さんにも訴えます。
128年前、新島先生にたてついた学生たちは何をしたのか?
先生の贖罪に自らの自責の念にかられ、折れて床に飛び散った破片を集め、大切に自宅に保管し、自らの心の戒めとしました。それは、今、母校に寄贈され、記念館に大切に保存されています。今こそ、師について学ぶ心を訪ね、自らに同志社に学ぶ意味を訊ねなさい。
★ 私は、同志社から新島精神が消えつつあることに心を痛めています。その象徴的な退廃は、新島先生ゆかりの旧邸が置かれた新島会館。ここは同志社開校のシンボルとも言うべき校友のメッカです。ここが今、何になっているか?
★ 78歳のオールド・ボーイがメッカ詣での敬意をもって60年後、訪れたその館は、キリスト教のブライダル・ビジネスが繁盛していました。魂を売った学校がどれだけ教育産業で繁盛しても、心の教育はありません。
★ 思い起こしてください。イエス・キリストはエルサレム神殿に群がる商人を蹴散らし「まむしの末裔」と呪いをかけられました。
★ 皆さん、一緒に、校門に立ちましょう。そして良心碑に向かって新島先生の教えに耳を傾けましょう。ここを訪れる者にこう語りかけられました。
良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起コリ来タラン事ヲ 新島襄
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==== いただいたコメント ====
既に多数、いただいておりますが、同志社同窓の内輪に関する事柄が多いので関係者以外からのコメントも含めて今回はすべて公開を差し控えさせていただきます。
★ なお大学人を称する方から”言論の自由”論が寄せられました。これだけお答えします。
私の答え: それも大事。ただ教室に戻ってキチンとやってください。
授業投げだし、テレビのアホ番組で教授肩書きで出演料を稼ぐ自由論でなく ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット交友に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 事件は繰り返し記すまでもなく周知の事実です。他の大学については触れたくありません。ただ、同志社は私の出身学校。それこそ「同窓」、「同人」 我が育ちの原点を創立者・新島襄先生の遺訓に求めて、今も生きている老学生には、あまりにも生々しく心痛む事件です。
★ 私が、この事件について、一言、社会に向けて発言を求める由縁は、たまたまテレビで教育者であるお茶の間軽評論家の次のコメントを聴いたからです。
今の大学は、昔の”象牙の塔”に選ばれた英才が集う場ではなく、売春婦も、不良も、何でもありの若者たちが集まって青春をエンジョイしている治外法権。手がつけられない。
★ 拍手と笑いで大受けしたこの発言。その肩書きを見れば、この論者は、それが分かっていながら、そのような若者を”教導”する責任感など全くありません。、ただ、学園の荒廃は”遊び惚ける学生”に責任のあることと投げやりな目で見るだけ。
★ 私は一人、つぶやきました
教育などやってられるか、と教室を捨てて、テレビに出てウケ狙い・・・これらの若者たちからむしり取った授業料で高給をむさぼて、ご機嫌漫談で遊んでいる。それが教師か!?正に「やらずボッタクリ」の典型、大学教育者の退廃、ここに極まれり! バカモン!***************
(この嫌悪感は、ワケシリ顔のこのタレント教授に向けています。
世の多くの良心的な大学教師全般を指すものでは決してございません。誤解のないよう念のため申し添えます)
★ 以下の一文は、同志社同人に訴えます。他大学の関係者は無視してください。
私たちは、この学生をむち打つのは止めましょう。
私たちの教育が、見落としていた、あるいは、間違っていたことを直視しましょう。
すべてに先んじて、校祖・新島先生ご自身、身をもって対処された教えに学びましょう。この事態にどう対処するのか。 その答えは、そこにあると思います。
★ 我ら、同志社同人・・・だれ一人、新島先生の「自責の杖」の尊い教えを知らぬ者はありますまい。もし、これを知らぬ者あれば、何のために同志社に集ったのか? その志を問わねばなりません。
★ 思い起こしましょう。明治13年(1880)4月13日の出来事を。128年も前の出来事・・・忘れた、知らぬ、という同人がいるかもしれません。起こった出来事を証言している次の一文を心して読んでいただきたい。これは、当時、新入生として入学したばかりの生徒、原田助氏(後、同志社第7代社長)の日記から抜粋したものです。
(明治十三年)四月十三日★ 同志社開学の直後に起こった学生ストライキ。それは新島先生が旅行で不在中に発生しました。その中には新島先生が特に目をかけておられた徳富兄弟(猪一郎=蘇峰、健次郎=蘆花)が首謀者に名を連ねた有名な事件でした。
朝礼にて新島先生の講話あり、
曰く、二年生徒上級の者、下級と合級の事よりして不平を鳴らし二、三日欠席をなしたり。但し其欠席したる罪たるや決して二年生に非ずして我らの手抜けにあり、亦けっして幹事に其罪あるに非ず。我にあり。
然るに生徒等多く不平を鳴らした欠席をなす。何故、教員の不平罰せざると言わん。亦曰く、罰せずんば学校の規則は無益のものと言わん。依って我自ら我を罰す云々、と両眼に涙を浮かべて演説し、終わって杖を以て自ら手を撃ち、為に枝折れて八、九本となる。
上原君之を止む。漸くにして止む。
先生曰く、我今我を罰す。願わくば諸君も規則を守られよ、と。
実に先生の学校を愛し、新に学校の盛大を望むの心である。感服感服。実に我、尚一層勉励を加えて真に先生の心に報いざるを得んや
★ 旅行から戻った新島先生に、生徒の中の強硬派が「校則に反した生徒の行動をどうするのか?」と、更に迫りました。その時、新島先生がとられた行動が、「その罪、我にあり」と生徒に陳謝し、規則がある以上、それに従い、「罰する」と自らを鞭打たれたのです。
★ 我々は、今、128年のタイムトンネルを戻り、新島先生の「自責の杖」の場に、自らの姿を置こうではありませんか。教育に携わる者すべて、この尊い教えの後も、生徒の不始末が起こると、学校当局にまずさがあっても、それはそれとして誰ひとり問うことなく、生徒だけを罰して来ました。
★ 同志社も「自責の杖」の教えから128年間、ずっと学生・生徒を罰することで学校秩序を維持して、”キレイな顔”を保って来ました。
まず、それをしっかり確認しようではありませんか。そして自らに問いましょう。
同志社は、学生にとって何であるのか、と。
★ 私は、懇願します。この学生は犯罪を犯しました。法に基づき罰するのは当然のこと。しかし、そのこと自体、同志社の学生として、一番、教育を必要としている若者である一面に目を向けねばなりません。もし、教育が新島先生が指し示された”愛の営為”と言うなら、今、同志社がこぞって立ち上がるべきは、この学生の教育課題をしっかり受け止めることです。
★ 後輩の現役学生の皆さんにも訴えます。
128年前、新島先生にたてついた学生たちは何をしたのか?
先生の贖罪に自らの自責の念にかられ、折れて床に飛び散った破片を集め、大切に自宅に保管し、自らの心の戒めとしました。それは、今、母校に寄贈され、記念館に大切に保存されています。今こそ、師について学ぶ心を訪ね、自らに同志社に学ぶ意味を訊ねなさい。
★ 私は、同志社から新島精神が消えつつあることに心を痛めています。その象徴的な退廃は、新島先生ゆかりの旧邸が置かれた新島会館。ここは同志社開校のシンボルとも言うべき校友のメッカです。ここが今、何になっているか?
★ 78歳のオールド・ボーイがメッカ詣での敬意をもって60年後、訪れたその館は、キリスト教のブライダル・ビジネスが繁盛していました。魂を売った学校がどれだけ教育産業で繁盛しても、心の教育はありません。
★ 思い起こしてください。イエス・キリストはエルサレム神殿に群がる商人を蹴散らし「まむしの末裔」と呪いをかけられました。
★ 皆さん、一緒に、校門に立ちましょう。そして良心碑に向かって新島先生の教えに耳を傾けましょう。ここを訪れる者にこう語りかけられました。
良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起コリ来タラン事ヲ 新島襄
関連記事 【答えてくれた後輩学生との語らい】
==== いただいたコメント ====
既に多数、いただいておりますが、同志社同窓の内輪に関する事柄が多いので関係者以外からのコメントも含めて今回はすべて公開を差し控えさせていただきます。
★ なお大学人を称する方から”言論の自由”論が寄せられました。これだけお答えします。
私の答え: それも大事。ただ教室に戻ってキチンとやってください。
授業投げだし、テレビのアホ番組で教授肩書きで出演料を稼ぐ自由論でなく ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット交友に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2008-11-24 11:08
| 新島襄先生との対座