2009年 01月 04日
【9004】 大地と暮らす”捨象”人生へのご招待 |
★ 過食・狂乱と住むに家なく野宿の中高年者・・・なんともやるせない今年の年末・年始風景。
「格差社会」の勝ち組み、負け組みなどという失礼な言葉も聞かれます。そんな状況ではないでしょう。突然の首切りで途方にくれる若い人。絶望感に立ちすくむ中高年年者の方々に・・
私は、叫びたいです。訴えたいです。企業にすがるのは止めましょう。
そして、「皆さん、田舎へいらっしゃい、ここで新しい人生を作ろうではありませんか」 と。
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★ その前に、テレビで言い訳ばかりする大企業のオエラ方に一言。
つい2年前、史上まれに見る「いざなみ景気」で同じ場面に立ったあなたたちは≪2002年1~3月期から、2006年4~6月期まで名目GDP(年率換算)を21兆円稼ぎ出した≫と得意満面でした。それは、誰が稼いだのか? 今、首を切った人々ではなかったか?
★ 覚えてもいらっしゃるでしょう。その時、世間はどんなに騒いだか。
なのにサラリーマンの所得は4兆円も減り、資本家の手に25兆円もの大金が留保されたと大問題になりました。儲けた巨額のお金は労働者への利益分配がなされていないことが明白になり、「格差社会」が厳然たる事実になったことを・・・。
★ 一体、あの「いざなみ景気」で稼ぎ出し、更に労働者の賃金ピンハネまでして留保した25兆円はどこへ行ったのか? それには触れずにマスコミに登場して「企業浮沈の危機」と煽り立てて従業員のクビを切る。
★ 資本家の手に渡った25兆円。結局、金融機関と馴れ合いで、全部、マネーゲームのバクチに使ったのでしょうか? ならば、公的資金で企業を支える、などとバカなことは言わないで欲しい。さっさと店をたたんで、市場からご退場願いたい。諸悪の根源、いまこそ根を絶たねばなりません。
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◎ 最近のテレビ、新聞の報道・・・国家財政、経済問題も余程、マユにつばして見ないと、何時の間にか企業サイドの言い分に乗せられて瞞されているのではないか、との猜疑心ばかりが募ります。私自身には、言われるほどの切迫感はありません。
◎ なぜか? このところ、何度も、それを思って見るのですが、結局、その答えは、私自身は、この数年間、いつも不況だったのですね。「いざなみ景気」が始まった時にはすでに現役から引退していました。以来、景気には関係なく、乏しい年金生活。「常時、不況だった」です。
◎ 恵んでいただく年金だけで生活を切り回す。それで、もう5年も生活してきました。この年金の出所は若い皆さんがカットに続くカットで年々、乏しくなる給与からさっ引かれる保険料。その皆さんより贅沢をしてはならぬ、とのワキマエが私にはあります。だから身を慎んで生きて来ました。
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★ 私は、岡山のど真ん中。中国山脈のいわゆる中山間地域、典型的な過疎地に住んでいます。ここは、「神武景気」も、「岩戸景気も」、「いざなみ景気」も素通りしました。それこそ、「常時、不況」だった、し、今も、そうです。でも、テレビが映し出す都会の地獄絵よりも、状況はよほどマシのように思います。
★ 何か、まだホンワカした生活のゆとりがあります。オカネはありません。しかし、生活の中身は貧しくはありません。今年の年末、地元産の餅米で搗いたお餅や野菜が全部、品切れになりました。ただ愚直に先祖伝来の田畑を守って来た「後期高齢者」たちの生活は"五穀豊穣"と共にありました。
★ 我が家も、新年の野菜の一部は、箱庭畑で栽培した自給自足でした。土にタネを蒔けば太陽と水が育ててくれます。オカネで買えない新鮮さと濃い味。オカネを求めて"急ぎ生きる"生活を捨てて、大地に足を降ろして脚下を照顧すれば暮らしの豊穣さが至るところにある。それが、後期高齢者が営んでいる過疎の生活です。
★ その生活に全身、浸りながら、私は、最近、大学に入ったばかりに聞いた経済学の講義を思い起こしています。「経済事象の概念化で、重要な手続きは抽出された諸表象以外の表象を考察の対象から切り捨てること」
その具体的練習を幾つもしました。
★ 例えば、野菜の生産。お百姓さんが大規模農園で栽培し、集荷組合経由で市場に出荷した農作物は"農産物"だが、個々人が庭の日曜農園で楽しみ、自給自足しているものは"農産物"とは言わず、その生産高は"農産物"には含めない。これが《捨象》
★ 現在の国家経済、国際経済は、多くのモノ、サービスを捨象しています。家庭菜園、台所を開放し合っての料理の交換、隣近所の相互扶助・・・とにかくオカネが動き、オカネで計量出来るものが経済学の対象ですが、オカネが動かないモノのやりとり、サービスの交換は経済学の対象外になっています。
★ つらつら思うに、この過疎地に住む私の生活・・・「常時、不況」を感じるのはオカネが回って来ない時だけ。それを痛感するのは、税金や健保、固定資産税、介護保険などの保険料を支払うとき。自分の生活にはさほどオカネは要りません。国家、社会が"捨象"した友誼が取り持つ助け合いや自給自足のモノ確保。住民相互の助け合いこそ生活を豊かにする根元であることを思います。
★ 年金生活とは何か? 私は、常に、「それは、托鉢の身」と申し上げておりますが、年金生活を如何に豊かにするかは、オカネを求めて忙しく生きるのではなく、大地に足を降ろしてご近所と助け合う。五穀豊穣足下にあり、の観念にこそある、と信じます。
★ 人より企業がご大切・・・・イヤな論理です。昭和ヒトケタ人間は、それで地獄の底の苦しみを舐めました。個人より国家優先。滅私奉公・・・”私”無くして何の国家・社会でしょう。おかしいですね。
「国敗れて山河あり」・・・・皆さん、いいチャンスです。杜甫の真実に学びましょう。
★ 企業にぶら下がって生きる”忙しい”滅私奉公産業社会から足を洗って、田舎で生活再建されては如何でしょう。大地に足を降ろして脚下を照顧すれば暮らしの豊穣さが至るところにある。それは、都会生活を捨てて20年、過疎の田舎に住み着いた傘寿老人が自らの体験で証言します。
それは、忙しい産業社会から離脱した≪素晴らしい”捨象”人生≫でした。
==== いただいたコメント ====
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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「格差社会」の勝ち組み、負け組みなどという失礼な言葉も聞かれます。そんな状況ではないでしょう。突然の首切りで途方にくれる若い人。絶望感に立ちすくむ中高年年者の方々に・・
私は、叫びたいです。訴えたいです。企業にすがるのは止めましょう。
そして、「皆さん、田舎へいらっしゃい、ここで新しい人生を作ろうではありませんか」 と。
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★ その前に、テレビで言い訳ばかりする大企業のオエラ方に一言。
つい2年前、史上まれに見る「いざなみ景気」で同じ場面に立ったあなたたちは≪2002年1~3月期から、2006年4~6月期まで名目GDP(年率換算)を21兆円稼ぎ出した≫と得意満面でした。それは、誰が稼いだのか? 今、首を切った人々ではなかったか?
★ 覚えてもいらっしゃるでしょう。その時、世間はどんなに騒いだか。
なのにサラリーマンの所得は4兆円も減り、資本家の手に25兆円もの大金が留保されたと大問題になりました。儲けた巨額のお金は労働者への利益分配がなされていないことが明白になり、「格差社会」が厳然たる事実になったことを・・・。
★ 一体、あの「いざなみ景気」で稼ぎ出し、更に労働者の賃金ピンハネまでして留保した25兆円はどこへ行ったのか? それには触れずにマスコミに登場して「企業浮沈の危機」と煽り立てて従業員のクビを切る。
★ 資本家の手に渡った25兆円。結局、金融機関と馴れ合いで、全部、マネーゲームのバクチに使ったのでしょうか? ならば、公的資金で企業を支える、などとバカなことは言わないで欲しい。さっさと店をたたんで、市場からご退場願いたい。諸悪の根源、いまこそ根を絶たねばなりません。
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◎ 最近のテレビ、新聞の報道・・・国家財政、経済問題も余程、マユにつばして見ないと、何時の間にか企業サイドの言い分に乗せられて瞞されているのではないか、との猜疑心ばかりが募ります。私自身には、言われるほどの切迫感はありません。
◎ なぜか? このところ、何度も、それを思って見るのですが、結局、その答えは、私自身は、この数年間、いつも不況だったのですね。「いざなみ景気」が始まった時にはすでに現役から引退していました。以来、景気には関係なく、乏しい年金生活。「常時、不況だった」です。
◎ 恵んでいただく年金だけで生活を切り回す。それで、もう5年も生活してきました。この年金の出所は若い皆さんがカットに続くカットで年々、乏しくなる給与からさっ引かれる保険料。その皆さんより贅沢をしてはならぬ、とのワキマエが私にはあります。だから身を慎んで生きて来ました。
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★ 私は、岡山のど真ん中。中国山脈のいわゆる中山間地域、典型的な過疎地に住んでいます。ここは、「神武景気」も、「岩戸景気も」、「いざなみ景気」も素通りしました。それこそ、「常時、不況」だった、し、今も、そうです。でも、テレビが映し出す都会の地獄絵よりも、状況はよほどマシのように思います。
★ 何か、まだホンワカした生活のゆとりがあります。オカネはありません。しかし、生活の中身は貧しくはありません。今年の年末、地元産の餅米で搗いたお餅や野菜が全部、品切れになりました。ただ愚直に先祖伝来の田畑を守って来た「後期高齢者」たちの生活は"五穀豊穣"と共にありました。
★ 我が家も、新年の野菜の一部は、箱庭畑で栽培した自給自足でした。土にタネを蒔けば太陽と水が育ててくれます。オカネで買えない新鮮さと濃い味。オカネを求めて"急ぎ生きる"生活を捨てて、大地に足を降ろして脚下を照顧すれば暮らしの豊穣さが至るところにある。それが、後期高齢者が営んでいる過疎の生活です。
★ その生活に全身、浸りながら、私は、最近、大学に入ったばかりに聞いた経済学の講義を思い起こしています。「経済事象の概念化で、重要な手続きは抽出された諸表象以外の表象を考察の対象から切り捨てること」
その具体的練習を幾つもしました。
★ 例えば、野菜の生産。お百姓さんが大規模農園で栽培し、集荷組合経由で市場に出荷した農作物は"農産物"だが、個々人が庭の日曜農園で楽しみ、自給自足しているものは"農産物"とは言わず、その生産高は"農産物"には含めない。これが《捨象》
★ 現在の国家経済、国際経済は、多くのモノ、サービスを捨象しています。家庭菜園、台所を開放し合っての料理の交換、隣近所の相互扶助・・・とにかくオカネが動き、オカネで計量出来るものが経済学の対象ですが、オカネが動かないモノのやりとり、サービスの交換は経済学の対象外になっています。
★ つらつら思うに、この過疎地に住む私の生活・・・「常時、不況」を感じるのはオカネが回って来ない時だけ。それを痛感するのは、税金や健保、固定資産税、介護保険などの保険料を支払うとき。自分の生活にはさほどオカネは要りません。国家、社会が"捨象"した友誼が取り持つ助け合いや自給自足のモノ確保。住民相互の助け合いこそ生活を豊かにする根元であることを思います。
★ 年金生活とは何か? 私は、常に、「それは、托鉢の身」と申し上げておりますが、年金生活を如何に豊かにするかは、オカネを求めて忙しく生きるのではなく、大地に足を降ろしてご近所と助け合う。五穀豊穣足下にあり、の観念にこそある、と信じます。
★ 人より企業がご大切・・・・イヤな論理です。昭和ヒトケタ人間は、それで地獄の底の苦しみを舐めました。個人より国家優先。滅私奉公・・・”私”無くして何の国家・社会でしょう。おかしいですね。
「国敗れて山河あり」・・・・皆さん、いいチャンスです。杜甫の真実に学びましょう。
★ 企業にぶら下がって生きる”忙しい”滅私奉公産業社会から足を洗って、田舎で生活再建されては如何でしょう。大地に足を降ろして脚下を照顧すれば暮らしの豊穣さが至るところにある。それは、都会生活を捨てて20年、過疎の田舎に住み着いた傘寿老人が自らの体験で証言します。
それは、忙しい産業社会から離脱した≪素晴らしい”捨象”人生≫でした。
==== いただいたコメント ====
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** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-01-04 00:07
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