2009年 02月 03日
【9035】 馬齢重ねて「立春」に想う |
★ 節分に続く今日は 「立春」。”ホンマのお正月”気分になれる日です。京都生まれの私は、子どもの頃、「恵方」(エエ方向いて)巻きずしに包丁を入れないで、そのまま、かぶりつき、「今日が1年の始まり。エエ年になりますように・・」と唱えたものでした。
★ ちょっと太めの巻きずしのことですが、中に入れる具は、その家でいろいろでしたが、大事なことは、必ず高野豆腐を入れて、カンピョウ、シイタケ、だし巻き、ウナギなどが定番で入っていました。
★ これは京都を中心にした関西の一部の習慣とばかり思っていましたが、最近は、全国で行われるようになったようですね。この岡山でもどこのスーパーでも大売り出ししていましたし、昨日のTVニュースでもこれがまるで日本全体の季節の風俗詩であるかのように取りあげていました。
★ テレビでは「恵方巻き」と言ってましたが、ちょっと意外な感じさえします。数年前のこの日に民間テレビが”珍しい習慣”として、これを報道した時、ニュースキャスターだった久米宏さんが、「バカじゃないか」とコメントし、大騒ぎになりました。
★ 関西人が激昂したのは、《そのようなハシタナイことなど》東京人はしない・・それがミエミエの蔑視的態度にカチン、と来たのでした。私も当時、この番組を見ていましたから、よく覚えています。確かにアゴをしゃくって笑いをとろうとした表情は”東京優越感”の傲りを感じさせました。
★ 当時、これを節分ニュースに取りあげた東京キー局の民放の関心は、それが関西独特の奇習、と見えたので面白がって取りあげたハズです。それが・・・数年にして全国的習慣としてNHKが放映するようになった! 流行というのは面白いですね、このようにパッと広がると、もう昔から日本にあった習慣のようになります。
***** 素晴らしい日本の四季 *****
★ 私は、「立春」が大好きです。12月クリスマス前後の「冬至」と、3月の「春分」の間に「春が”立つ”日」 それは、《寒さは終わり、春に入る》 言わば、「春の初日」・・・だから古人は、この日を年の初めとして祝ったのですね。
★ 今もお正月に用いる「迎春」という言葉が、今日の「立春」の日に用いてこそ、《新しい年を迎えた》実感が伴いますね。新暦の「1月1日」・・・太陽の光が最も弱まり、生き物の多くが深く冬眠に入っている時に「迎春」と言ってみても、何の感興も湧きません。
★ 私も馬齢を重ねて”傘寿”になってシミジミと、この国はじまって以来、我々の先祖が言葉に刻んだ経験の重みを感じ取っています。四面を海に囲まれた日本列島。それは季節をほぼ均等に四季に分ける地球上の絶妙の位置に伸びています。
★ 《 「節分は年4回あるんですね。立春、立夏、立秋、立冬の季節の変わり目の前日が節分になります」 先ほど、お昼前にいただいたごろくさんのコメントです。この部分が抜けていました。》 そうです。四季ごとにその始めに”立つ”日があります。それぞれの季節の訪れを祝う日ですね。”節”と言うのはお祭りを意味しました。
★ このように自然の景色の変化に季節の移り変りを五感で感じ取る「自然暦」・・・旧暦は、その体験を農業に生かして作られました。遠く、飛鳥時代に中国から二十四節気が伝えられると、「立春」を一年の初めとして暦が作成されるようになりました。
★ 明治維新で近代国家に仲間入りした象徴として西欧で広く用いられていた新暦が導入された後も、私たちは長く旧暦を離しませんでした。それは、農業にはなくてはならぬ智慧の塊であったからです。
★ しかし、殖産興業の国是・・・産業を興して国を富ます。農業国から工業国への転換は、人々に旧暦を放棄させる重要なキッカケとなりました。老人の回顧趣味と言われるかもしれませんが、我々は、本当に大切な無形文化遺産を失いつつあります。それは、民族が培ってきた智慧と共に消えつつあります。
★ モッタイナイ話ではありませんか。せめて放棄せず、併用で、民衆自身が、生活の中に無形文化を大切に守る心を育てたい。そんな想いがしてなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ ちょっと太めの巻きずしのことですが、中に入れる具は、その家でいろいろでしたが、大事なことは、必ず高野豆腐を入れて、カンピョウ、シイタケ、だし巻き、ウナギなどが定番で入っていました。
★ これは京都を中心にした関西の一部の習慣とばかり思っていましたが、最近は、全国で行われるようになったようですね。この岡山でもどこのスーパーでも大売り出ししていましたし、昨日のTVニュースでもこれがまるで日本全体の季節の風俗詩であるかのように取りあげていました。
★ テレビでは「恵方巻き」と言ってましたが、ちょっと意外な感じさえします。数年前のこの日に民間テレビが”珍しい習慣”として、これを報道した時、ニュースキャスターだった久米宏さんが、「バカじゃないか」とコメントし、大騒ぎになりました。
★ 関西人が激昂したのは、《そのようなハシタナイことなど》東京人はしない・・それがミエミエの蔑視的態度にカチン、と来たのでした。私も当時、この番組を見ていましたから、よく覚えています。確かにアゴをしゃくって笑いをとろうとした表情は”東京優越感”の傲りを感じさせました。
★ 当時、これを節分ニュースに取りあげた東京キー局の民放の関心は、それが関西独特の奇習、と見えたので面白がって取りあげたハズです。それが・・・数年にして全国的習慣としてNHKが放映するようになった! 流行というのは面白いですね、このようにパッと広がると、もう昔から日本にあった習慣のようになります。
***** 素晴らしい日本の四季 *****
★ 私は、「立春」が大好きです。12月クリスマス前後の「冬至」と、3月の「春分」の間に「春が”立つ”日」 それは、《寒さは終わり、春に入る》 言わば、「春の初日」・・・だから古人は、この日を年の初めとして祝ったのですね。
★ 今もお正月に用いる「迎春」という言葉が、今日の「立春」の日に用いてこそ、《新しい年を迎えた》実感が伴いますね。新暦の「1月1日」・・・太陽の光が最も弱まり、生き物の多くが深く冬眠に入っている時に「迎春」と言ってみても、何の感興も湧きません。
★ 私も馬齢を重ねて”傘寿”になってシミジミと、この国はじまって以来、我々の先祖が言葉に刻んだ経験の重みを感じ取っています。四面を海に囲まれた日本列島。それは季節をほぼ均等に四季に分ける地球上の絶妙の位置に伸びています。
★ 《 「節分は年4回あるんですね。立春、立夏、立秋、立冬の季節の変わり目の前日が節分になります」 先ほど、お昼前にいただいたごろくさんのコメントです。この部分が抜けていました。》 そうです。四季ごとにその始めに”立つ”日があります。それぞれの季節の訪れを祝う日ですね。”節”と言うのはお祭りを意味しました。
★ このように自然の景色の変化に季節の移り変りを五感で感じ取る「自然暦」・・・旧暦は、その体験を農業に生かして作られました。遠く、飛鳥時代に中国から二十四節気が伝えられると、「立春」を一年の初めとして暦が作成されるようになりました。
★ 明治維新で近代国家に仲間入りした象徴として西欧で広く用いられていた新暦が導入された後も、私たちは長く旧暦を離しませんでした。それは、農業にはなくてはならぬ智慧の塊であったからです。
★ しかし、殖産興業の国是・・・産業を興して国を富ます。農業国から工業国への転換は、人々に旧暦を放棄させる重要なキッカケとなりました。老人の回顧趣味と言われるかもしれませんが、我々は、本当に大切な無形文化遺産を失いつつあります。それは、民族が培ってきた智慧と共に消えつつあります。
★ モッタイナイ話ではありませんか。せめて放棄せず、併用で、民衆自身が、生活の中に無形文化を大切に守る心を育てたい。そんな想いがしてなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
** ご挨拶 ** ブログ【彷徨人生・・・喜寿から傘寿へ】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■
[PR]
by zenmz
| 2009-02-03 23:54
| Vernacular
|
Comments(0)