2009年 02月 14日
【9045】 唱歌創造・・・小学72年生の学習・第6課 |
★ 私は、ヒマがあると、気のおもむくままに、足踏みオルガンを弾きます。昔懐かしいストップ付きのリード・オルガンです。ちょうど1年前になりますが、「処分したい。誰か要りませんか?」というお話しがあり、いただいたものです。
★ 実は、私は、旧官立師範学校生徒。15歳から16歳の2年間、オルガンは必修科目で、文字通り、ムチ打たれて育ちました。だから60年後の今でも楽譜は読めますし、指が運指法を覚えています。何とか音が出せるのも、アノしびれる痛みが残る”スパルタ教育”のお陰です。
★ 最初の頃はキリスト教の賛美歌ばかり弾いていました。それが、今年のお正月に、数え年で”傘寿”になった記念に小学校唱歌を徹底的に学び直す気持ちになって、今では小学校唱歌を主に弾いています。
★ 弾き始めた当初から気付いたことですが、小学校唱歌は賛美歌に似ています。まるで双子のようです。しかし、それは、偶然の一致、ひょっとしたら、私の気のセイで、根拠のあることでもあるまい・・・と、無視していました。
★ ところが、明治の初めに、西洋音楽が導入された経緯を調べているうちに、”小学校唱歌”が成立する上で、キリスト教の賛美歌が決定的な役割を果たしていたことが分かりました。
★ 我が国最初の”西洋音楽の教科書”は、明治14年(1881年)に公刊された、『小学唱歌集』で、ここには、「蝶々」 「蛍の光」 「むすんでひらいて」 「庭の千草」 「仰げば尊し」などの曲が含まれていたことは、先週、取りあげました。
★ これは、文部省の高官だった伊沢修二氏と伊沢氏が米国留学時代の恩師で、その後、明治政府が招聘した外国人教師、ルーサー・メーソン氏が編集したもので、ここに採用された曲は、すべて”外国曲”ばかりの「翻訳唱歌」と称されていることにも触れました。
★ 私たちは、音楽は、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の7音階である、と知っています。しかし、明治初年の日本人には、これが全く理解出来なかったのです。西洋音楽に接するまで、日本人の邦楽音には4音(ファ)と7音(シ)がなかったのです。
★ ところが、学校よりも先にキリスト教会で詠われていた賛美歌の殆どは、日本人の耳にも馴染みやすい5音階でした。いわゆる「四七抜き」(”ファ”と”シ”のない)五音階で、どこか日本伝来の御詠歌に似ています。
★ 日本の小学校唱歌がキリスト教の賛美歌に類似していることは、古くから指摘されていることでしたが、その後、富国強兵から国家主義に向かい、深く研究されることはありませんでした。
★ しかし、真似事の「翻訳唱歌」ではなく、日本人自身の作詞・作曲になる独創的な「小学校唱歌」を、誰が、如何に完成したのか? 戦後になって、尋常小学唱歌の完成には岡野貞一(作曲家・東京芸大教授)-高野辰之(作詞者・国文学者)のコンビによる功績がクローズアップされるようになりました。
★ 岡野-高野コンビは、『故郷』 『朧月夜』 『春の小川』 『春が来た』 『日の丸の旗』などの不朽の名作を残し、見事に日本人自身の手になる唱歌を完成しました。ここで注目したいのは、その作曲をなさった岡野貞一氏(1878 - 1941)の経歴です。
★ 岡野さんは、明治11年(1878年)、鳥取市の生まれ。14歳でキリスト教徒となり、15歳の時、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を学び、東京音楽学校(現在の東京芸大)に進んで、母校の教授(声楽)になった方です。
★ 文部省の作曲委員をして、『尋常小学唱歌』の編纂に参加し、自ら多くの作曲をなさいましたが、その名は伏せられて戦後かなり経った頃まではただ、その「名声」だけが伝聞として広がっていただけでした。
★ しかし、今、改めて、岡野さんのご経歴と活動を点検すると、重要な事実を知ることが出来ます。岡野さんは、その生涯を通じてキリスト教のオルガニストとして奉仕されたのです。特に東京・本郷中央教会のオルガニストを40年間、務められたことは有名です。
★ この岡野さんが、高野辰之氏(1876-1947)と、出会われたのは、東京音楽学校教授時代でした。明治9年(1876年)長野県生まれのこの国文学者は、「近松門左衛門全集」、「日本歌謡史」の著作で知られていますが、岡野さんと共に文部省の作詞委員として、『尋常小学唱歌』の編纂に参加し、作曲の岡野さんと組んで自ら多くの作詞を残されました。
★ こうしたことから私のアタマの中には、今、
★ ところで この点検作業をしている過程で、初めて猪瀬直樹氏が、ご著書「唱歌誕生・・・ふるさとを創った男」の中で、、岡野-高野コンビの偉業を明らかにされていることを知りました。賛美歌との関連・・・取り扱っておられるでしょうか?是非、拝見し、確かめたい、と思っております。
【注】 シリーズ「小学72年生」のバックナンバー一覧
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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★ 実は、私は、旧官立師範学校生徒。15歳から16歳の2年間、オルガンは必修科目で、文字通り、ムチ打たれて育ちました。だから60年後の今でも楽譜は読めますし、指が運指法を覚えています。何とか音が出せるのも、アノしびれる痛みが残る”スパルタ教育”のお陰です。
★ 最初の頃はキリスト教の賛美歌ばかり弾いていました。それが、今年のお正月に、数え年で”傘寿”になった記念に小学校唱歌を徹底的に学び直す気持ちになって、今では小学校唱歌を主に弾いています。
★ 弾き始めた当初から気付いたことですが、小学校唱歌は賛美歌に似ています。まるで双子のようです。しかし、それは、偶然の一致、ひょっとしたら、私の気のセイで、根拠のあることでもあるまい・・・と、無視していました。
★ ところが、明治の初めに、西洋音楽が導入された経緯を調べているうちに、”小学校唱歌”が成立する上で、キリスト教の賛美歌が決定的な役割を果たしていたことが分かりました。
★ 我が国最初の”西洋音楽の教科書”は、明治14年(1881年)に公刊された、『小学唱歌集』で、ここには、「蝶々」 「蛍の光」 「むすんでひらいて」 「庭の千草」 「仰げば尊し」などの曲が含まれていたことは、先週、取りあげました。
★ これは、文部省の高官だった伊沢修二氏と伊沢氏が米国留学時代の恩師で、その後、明治政府が招聘した外国人教師、ルーサー・メーソン氏が編集したもので、ここに採用された曲は、すべて”外国曲”ばかりの「翻訳唱歌」と称されていることにも触れました。
★ 私たちは、音楽は、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の7音階である、と知っています。しかし、明治初年の日本人には、これが全く理解出来なかったのです。西洋音楽に接するまで、日本人の邦楽音には4音(ファ)と7音(シ)がなかったのです。
★ ところが、学校よりも先にキリスト教会で詠われていた賛美歌の殆どは、日本人の耳にも馴染みやすい5音階でした。いわゆる「四七抜き」(”ファ”と”シ”のない)五音階で、どこか日本伝来の御詠歌に似ています。
★ 日本の小学校唱歌がキリスト教の賛美歌に類似していることは、古くから指摘されていることでしたが、その後、富国強兵から国家主義に向かい、深く研究されることはありませんでした。
★ しかし、真似事の「翻訳唱歌」ではなく、日本人自身の作詞・作曲になる独創的な「小学校唱歌」を、誰が、如何に完成したのか? 戦後になって、尋常小学唱歌の完成には岡野貞一(作曲家・東京芸大教授)-高野辰之(作詞者・国文学者)のコンビによる功績がクローズアップされるようになりました。
★ 岡野-高野コンビは、『故郷』 『朧月夜』 『春の小川』 『春が来た』 『日の丸の旗』などの不朽の名作を残し、見事に日本人自身の手になる唱歌を完成しました。ここで注目したいのは、その作曲をなさった岡野貞一氏(1878 - 1941)の経歴です。
★ 岡野さんは、明治11年(1878年)、鳥取市の生まれ。14歳でキリスト教徒となり、15歳の時、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を学び、東京音楽学校(現在の東京芸大)に進んで、母校の教授(声楽)になった方です。
★ 文部省の作曲委員をして、『尋常小学唱歌』の編纂に参加し、自ら多くの作曲をなさいましたが、その名は伏せられて戦後かなり経った頃まではただ、その「名声」だけが伝聞として広がっていただけでした。
★ しかし、今、改めて、岡野さんのご経歴と活動を点検すると、重要な事実を知ることが出来ます。岡野さんは、その生涯を通じてキリスト教のオルガニストとして奉仕されたのです。特に東京・本郷中央教会のオルガニストを40年間、務められたことは有名です。
★ この岡野さんが、高野辰之氏(1876-1947)と、出会われたのは、東京音楽学校教授時代でした。明治9年(1876年)長野県生まれのこの国文学者は、「近松門左衛門全集」、「日本歌謡史」の著作で知られていますが、岡野さんと共に文部省の作詞委員として、『尋常小学唱歌』の編纂に参加し、作曲の岡野さんと組んで自ら多くの作詞を残されました。
★ こうしたことから私のアタマの中には、今、
賛美歌(四七抜き)作曲法 × 日本短詩文学(7-5調)=小学校唱歌創造の方程式が出来上がっています。状況証拠をつなぎ合わせただけの”感想”でしかありませんが、曲を弾いていると、何か、間違いない、との確証を感じます。
★ ところで この点検作業をしている過程で、初めて猪瀬直樹氏が、ご著書「唱歌誕生・・・ふるさとを創った男」の中で、、岡野-高野コンビの偉業を明らかにされていることを知りました。賛美歌との関連・・・取り扱っておられるでしょうか?是非、拝見し、確かめたい、と思っております。
【注】 シリーズ「小学72年生」のバックナンバー一覧
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** ご挨拶 ** ブログ【傘寿を生きるロマン日記】公開に当たって
私のネット生活に寄せる想いです。ご理解賜りたくご一読をお願い申し上げます。
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by zenmz
| 2009-02-14 00:00
| ボクは小学81年生